自分の財産は最後まで握っていないと お金を子どもに譲ったとたんに面倒をみてもらなくなるから譲るべきではないと言う話を新聞で読んだことがある。
もし介護に対する感謝の言葉もなく 「親だから」という理由だけで無報酬で介護に身を捧げる状況になったとしたら。。。
介護家族を自由の無い介護のストレスから少しでも解放するために 「老いては子に従え」で 少額で良いからお金で解決する方法もあるかもしれない。介護のストレスからの解放はお金よりも感謝の言葉が一番だが、お金はそれを裏打ちする場合もあるのではないだろうか。
介護が終わっておよそ2年経ち 嫌な部分は忘れかけ ちょうど良い加減なのが今なのかもしれない。
過去を振り返り辛かったことばかり思っていても前へは進まない。
先日 どこかの大学の先生が「昔に好きだった音楽や状況に身を置くと 脳だけでなく体も若返る」という話をしていた。
私の学生時代は ディスコミュージックが全盛期の時。聴くたびに学生時代を思い出してワクワクしたものだ。久々にそのディスコミュージックを聞く機会があり 時々聞いているのだが 当時のワクワクした気分は少し忘れかけていて少々がっかりしたが 懐かしさ、楽しかった時代を思い出す手掛かりにはなる。いつもは使わない脳や体の部分を使うのは 確かに良いことなのかもしれない。
子どもの頃から習いたかったダンスを 1年ほど前から習い始めている。当時あこがれたダンスと言えば映画ウェストサイドストーリーのジョージ・チャキルスの足をスッと上に高くあげて踊る切れの良いジャズダンスだ。この年になって始めるのだから とてもとても足は上がらないし体も動かないが 頑張って色々なダンスに挑戦している。ダンスというよりはストレッチに通っているという感じなのだが。。。
始めたばかりの1年ほど前は 何十回同じダンスをしていても全く覚えられなかった。ところが今は最初の4小節ぐらい(次を覚えると忘れてしまうのが難点だ)はほぼ覚えられるようになった。以前とは違う部分の脳を使っていることが実感できる。
過去を振り返ることも悪いことばかりではなく、忘れかけていたやりたかったことをこの年になってなぞるチャンスにもなるものである。こころの健康を保つためにも 過去を振り返り楽しかったこと、栄光を思い出してみるのはいかがでしょうか。
数か月前から読みたいと思っていた本を 先日近くの図書館から借りてきて 一気に読んだ。
介護者と家族の心のケア ~介護家族カウンセリングの理論と実践~ 渡辺俊之著 (金剛出版)だ。
介護の負担感、介護ストレスの部分は特に 私のこころの声を分析されているのではないかと思われるほど的確な原因分析がなされていた。
それらを一言で言うと
負担感の原因は身体的疲労。介護による私的な生活の妨害。介護とは喪失との対峙で健康で若くて強かった親が弱っていく悲しみの感情がこころに湧きあがること。
ストレスの原因は 親の機能低下や病気の進行に伴う喪失感。介護者と親との関係にもともと問題がある。介護者と周囲との関係。義務や責任で介護にあたること。義務的な関係が介護により増強される。感謝をしてくれない、あるいは介護の気持ちが届かない。ということがあると言う。おまけに、要介護状態になると人はおとなの部分が剥がされて元の人格が協調されて出現し、人格に偏りが出てくる。例えば依存的な人は極めて依存的になる。介護者にどっぷり依存して一人では何も出来ない。ということがある。
つまり、義務、責任、現実的状況のために介護からの逃避が許されず、葛藤を乗り越えて介護を続けることが強いられることに こころも体も参ってしまっていたのだと冷静に振り返ることが出来た。
家族だからこそ 細かなところまで気がつくことができるが その分ストレスも多く過去との比較や現実に向き合いながらの介護は葛藤はとても大きなものだ。これが夫の親の介護だったら また別の感情が出現しているのかもしれないが、実の親だったら自宅に抱え込んでの介護はしていなかったかもしれない。
先日、友人に壮大な景色の公園に連れて行ってもらった。そこで公園内の茶屋に立ち寄った。茶屋からはすばらしい日本庭園と背景の山々がのぞめ、素晴らしい時間を過ごした。
茶屋からは ちょうどデイサービスの利用者のような方々が出てこられ 一団と入れ違いになった。その中に具合の悪い時の父の面影によく似た男性がいた。かなり具合の悪い時の様子にあまりにも似ていたので、目をそらしてみたり父の面影を重ねてみたり複雑な心境だった。父によく似ていたが、この男性の方がずっとお元気で、父ぐらい具合の悪い人の介護は自宅ではあまりしないものなのかと不思議に、また私はすごい人を抱えて介護していたのだと確認した次第だった。
昨日、電車に乗っていて、父のように立ち上がるのに苦労している男性を見かけた。椅子から転げ落ちそうな格好をして頑張っていたので、思わず手助けに行こうかと思ったほどだった。しかし手を貸すことが良いことなのかどうか迷い、一人で電車に乗っているのだからしばらく見守ってみようと思い、席を立ち電車を降りるところまでを見守った。体を動かすのは自由で内容だが、上手に椅子から立ち上がり電車を降り、歩いて行かれた。父ほど具合が悪い人は家では介護をしないのだなと再確認した。
介護をどこでするか。これはその後の自分の生活、精神状態にとってもとても重要なポイントだ。
なぜ こんなに腱鞘炎がひどくなるまで介護をしたのだろうかと ふと考えた。父が「家で過ごしたい」と言ったことが 一番。二つ目は頭がしっかりしていて とても敏感なであり記憶・思考がしっかりしちえる父を 施設に入れるのは忍びなかったこと。そんな父であったが 度々空白の時間があった。
横紋筋融解症で病院に入院しているときに『「お腹がイタイ、イタイ、イタイ・・・。娘を呼んでくれ~!」と叫んでいる』 と看護師さんから呼び出しがたびたびあった。そのたびに1時間ほどかけて病院に出向いていた。痛みが父を変える。腹痛とともに人格が変わる。病院に着く頃には痛みがおさまりけろっとしている。「イタイ」と言っていたその間の記憶は全くなくなるのか、痛かったことや大騒ぎして私を呼び出したことも覚えていない。
秋になると我が家はよく横浜の中華街に行く。その時も父に喜んでもらおうと思い 父の大好きな中華街の月餅を購入し 差し入れで持っていったことがある。しかしいつ持って行っても腹痛でそれどころではない状況。本当にがっかりした。今でも中華街の月餅を見ると 静まり返った病棟で「イタイ、イタイ、イタイ」と言っていた父を思い出す。
当時ヘルニアがあったのでそれが原因と病院では思われていた部分があったが それだけではなさそうだった。ヘルニアの手術をして帰宅してからも よく腹痛で悩まされていた。その時必ず「お父さん、ヘルニアの手術をして治っているのよ。」と言うと「ああ、そうか」と言って穏やかな顔に急変していた。
痛みの顕位のドクター自身が 悪性腫瘍になり激しい痛みを和らげるために行ったことは 故郷の川の流れのせせらぎを聴くことだったという。今まで色々な論文を書いてきたが あれは間違いだった。今まで自分がたくさんの患者さんに出していたどんな強い痛み止めの薬も痛みには効かない。自分の研究は間違いだったと言っていたそうである。痛みのメカニズムはとても複雑で難しいものなのだということだけはわかる。
※(聖路加の日野原先生が『医療者は「イタイ!」と言ってもあまり動いてくれないので「イタイ、イタイ、イタイ!」と3回言うと何か医療的なことをしようと医療者は動く』とおっしゃっているそうである。確かに、父はいつも「イタイ、イタイ、イタイ!」と言っては手を施してもらっていたので実証済み。何かの折に痛みを訴える時には3回言うことをおすすめしたい。)
ところで 先日そのようなことをその当時の主治医に会った時に話をしたらよく覚えていてくださり 「お父さんの痛がる症状を抑えることはできなかったし、坂道を転げ落ちていくあのスピードはただものではなかった。パーキンソンが引き金ではなく別の形で天寿を全うされると思っていたのですが、坂道を転げ落ちるようにそして最後はズドンと落ちていく症状だった。薬ではコントロールできずに難しかった。」と話された。臨床をたくさん診ておられる医師でさえ見たことのない症例だったという話をきき、どおりで介護が大変だったわけだと納得した。痛みはもちろんのこと 病気を良くするのも悪くするのもメンタル面が大きく影響しているということなのだろうか。病気に負けない強いこころを築き上げることが これからの人生のテーマなのかもしれない。
10月に入ると キンモクセイの香りともに腱鞘炎がやってくる。
休めない介護で すっかり悪化させてしまった。
一方 ロボットスーツが一般化する兆しが見えてきた。
本格的に生産をするようだ。
まずは介護施設で使われるようになるようだ。
何しろレンタル料が月に15万~20万前後と結構なお値段だ。
ロボットスーツを家庭で使えるようになるにはまだ時間がかかるかもしれない。
何しろ家事のような細かいことをするには着用したままでは生活しいくそうな構造だ。
今のところは介護施設等 介護を専門に行う人が着用することになるのだろう。
在宅介護をするには 家庭向けの簡単なロボットスーツが普及することが望まれる。
私の心配は それをつけた介護者の筋力が落ち リハビリが必要になることはないのかということ。
先日の新聞に 気軽にオムツを使いましょうという記事があった。
確かにちょっと出かけるにも 間に合わないことが心配で出かけられない人が結構いるという話は聞く。そういう人には良い情報かもしれないが、とはいってもオムツを履く前から予想がつくが 違和感は確かである。生理用のナプキンでさえ仕方なく使うものであって あのようなものでお尻をスッポリ包んで気持ちよくいられる人はそういないだろう。オムツメーカーが情報を操作しているのかしらと思うような時代錯誤の記事であった。
わが家の介護では昼間は普通のパンツで頑張ったが 夜頻繁に起こされ睡眠がとれなくなり体調を崩したので やむを得ず本人にも事情を承知の上でオムツしてもらった。しかしそれがいけなかったのか気分が滅入って、鬱の状態がより進み 老化が一気に進んだことは我が家では既に証明されていることである。もちろん世の中でもそういうことは言っている。
介護する側も オムツは蒸れないと言っても実際に使った後のお尻のケアは欠かせないので パンツの時よりも手がかかることも知っておきたい。オムツの紙は布よりも硬いので褥瘡も心配である。使い始める前に 介護する側のお尻のケア手間やご本人のオムツを使ってしまっているということが心のかげになりが余計に手がかかることもあるということを知っておく必要があるのではないか。
報道番組で 介護施設のベッドは空いているのに介護者が不足していて 要介護者が受けいられらないという報道がなされていた。勿体ない話だ。何万人もいる待機者の中でも 切羽詰まった要介護者はかなりいるはず。その空きの介護施設のベッドをその方たちが利用出来たら どんなにご家族の生活の質が変わることだろうと思う。
介護者は輩出しているのに 重労働の上に薄給なために続かないということ。ベッドを購入するお金があるのであれば ベッド数を減らして介護者の労働条件を上げ労働者を増やすことの方が先決だ。94%の施設で人材が不足しているという調査結果で明らかである。
私の職場に4ヶ月ほど介護施設で働いていたが志半ばで辞めてしまった人がいるが彼女も重労働と薄給。その上あまりの介護の質の低さに落胆し またその中で働いていくことができなかったとのことである。彼女のいたフロアは起床から朝食までの間に一人で30人の人を起こして硬縮のある人を着替えさせて オムツをとりかえたり 行ける人はトイレに行かせて 朝食の席につかせなければいけなかったとのこと。 朝8時の朝食のために朝5時から起こし始めないと間に合わないとのこと。
フロアによって対処の仕方が異なるらしく 朝早くから起こさなくて良いように 汚れたら着替えるフロアもあるらしい。そこではジャージの人あり、普通の洋服の人あり。ご家族の持ち込んだ衣服を着ているようだ。面会に行ったときに まさか自分の親がその洋服のまま寝かされているとは思いもよらないであろう。生活のメリハリを考えると昼間と夜では着替えた方が好ましいが、職員の手や着替えのために朝5時から起こして説明して理解してもらう余裕がないために無理やり服を脱がせて着替えさせるのが入所者の方にとって好ましいのか。
彼女もわからないと言っていたが 私もわからない。
利用者の立場から言うと介護施設を選ぶポイントは 実際にはどのような介護が行われているか詳しく聴き、質問をし 出来ればその内容を録音をし現場を見せてもらうぐらいのことは必要である。介護施設のベッドが空きやすいとか施設がきれいだからと安易な理由で介護施設を選ぶのは介護の質は勿論、入所者の人権を守るためにも注意を払わなければいけない点である。
またいつも求人をしているような施設は 職員に対して何か待遇が悪いことが予想されるうえ チームワークの良さという点でも期待出来ないことが予想される。人員が足りていても不足していても その施設からの請求金額は同じであることは間違いない。
某協会によるメンタルケアスペシャリストの資格は半年前に取得したのだが その延長線上にある精神対話士の試験は体調を崩したために半年遅れで受験した。試験は面談で、グループ面接と個人面接。グループ面接は面接官二人対受験者が8人で、口頭による質問に対して順番にこたえるもので、講義で学んだことの集大成の質問。とても緊張する雰囲気で、私の並びの左右の人はガタガタ震えている様子が横目でうかがえた。
それとは対照的に 個人面接は面接官の方はにこやかに迎えてくださり 和やかな感じで進められた。自分の問題意識を持っているテーマに関して答えるもので 自分を出すものだったので とても答えやすく自分の全てを表現することが出来たと思う。
この試験は この資格を主催している協会の入会試験のようなものでもあるので 合格したあかつきには現場での活動が始まることになる。
いかに自分を出さずに人の話を聴けるかが試されているものだとすれば 自分を出しすぎた。今回の試験は不合格になるだろう。今回は活動に直結する試験なので 協会の意に沿うような人間であるかどうかをみるものであるとそう思えば合・不合格を気にしなくとも良く 気が楽になる。
今後この協会の講座で知り合いになれた教授と精神対話士の部分での活動の面でつながれれば万々歳だ。
講座が始まってから1年。長くもありあっという間でもあった。自分にお疲れ様を言いたい。
今回の会長である教授のお誘いがあり 日本家族看護学会に行ってきた。半年間待ちに待ったものだった。2日間に渡るもので 内容の濃いものであった。自分のしてきた介護がどういうものであったのかを客観的に見ることも出来た。 それはどうしても口に出して言うことが出来ず 自分のこころのなかに収めてあったものが的確に整理され発表されていたから。
家族看護が必要であるにもかかわらず 家族看護学という学問が存在していないことの問題点や研究をいかに学問にしていくかを話し合うという裏の部分も知ることが出来た。
看護を受けることが終わった(父の逝った)数か月後に 介護でお金をもらうヘルパーの勉強をした。これは介護を受ける家族の反対側を知りたかったから。私はジャンルを問わず 両面から見ることは視野を狭めないために不可欠と思い いろいろなことに関して反対側からも見るようにしている。その一貫のことだ。
しかし今回の学会は 反対側だけではなく自分のしたいことに直接つながる部分が非常に多く盛り込まれ とても勉強になった。今回の学会が 世の中に貢献するという私のしたいことの第一歩に繋がればうれしい限りだ。
父の病気を見つけてくれた恩師であるドクターに2年半ぶりに会ってきた。かかっていた病院からはるかに遠い病院への転勤だったので最期まで診てもらうことが出来なかった。しかし後輩の神経内科医が我が家の隣駅の病院で診察をしていたのでそこの病院で最期まで診てもらうことになったという経緯がある。先輩の患者さんということでとても大事にしてもらえこと。その後の病気の経緯。そして 父の介護をして思ったことやそこでの経験や世の中に貢献したい自分の気持を話してきた。
そのドクターは元々リベラルな考えを持っている方で 難病患者の往診をもしていることもあり 人間味にあふれている。私のしたいことを十分に聴いてくれた上で ドクター側ではなく ナース側で活動すると良いこと。その他 難病患者は個性が強くなっているので 自分に出来るかどうかを試しで活動した上でライフワークにした方が良いことなどいろいろとアドバイスをしてくれた。
以前の病院にカルテはすべて置いてきているにもかかわらず 父の病状・経過を驚くほどよく覚えてくれていた。パーキンソンであったことは間違いないが厄介な病状でどうにもコントロールできなかったこと。坂道を転げ落ち始めたらそのスピードを抑えられないほど病状が悪化したこと。
父の病状を振り返りながら 私が一人で薬を取りに行ったときに話した私の心情もよく覚えてくれていて そして本当に大変な病状だったことをドクターが一緒に振り返ってくれた。2年半以上前のことであったにもかからわらず 昨日のことのように覚えてくださっていたのには驚いた。
あっという間の1時間であった。朝9時に出発して6時に帰宅と1日がかりになったが会いに行って本当に良かった。父と同様 私もこのドクターを信頼していて なぜか私も言いたいことをつい言ってしまう。
特別な専門的な技術を持っていて ドクター対象の講演をあちらこちらで行っている方なのだが 偉そうなそぶりを一切見せたことがないお人柄のかもし出すものなのだろうか。
通常転勤というとランクアップを狙うところだが 明らかにランクダウンである。しかし自分の目標に向かってのランクダウン。欲に目のくらんだ人間・ドクターの多い中 お人柄が前に出たドクターが世の中にたくさん輩出されることを祈るばかりだ。
最後に 今後も連絡がとれるようお願いをして帰宅した。
1ヶ月ほど前に 介護の日(11月11日)が誕生した。介護について何に焦点を絞るのか。介護従事者の賃金を上げるとか勤務時間を検討するとか?家庭で介護をしている人がどのような生活を送り、どのような精神状態で日々過ごしているのかスポットライトを当ててほしい。
ところで 同じ職場に「16年間介護をしてきた」と自慢をしている女性がいる。夫の転勤先について行き 転勤先で大学院に通ったというとても勤勉な女性だ。介護をしながら大学院に行ったとは かなりの努力家だと思ったが、よくよく話を聴いてみると 転勤先には親を連れていかず 東京に残していったとのこと。おまけに「ボケがひどいので老人ホームに入れている」という発言もあり、そういうのも介護と言うのかとびっくりした。
冷静に考えてみれば 重い介護を16年間もできるわけがない。
親の介護をしたことがなく親とも同居していない人に限って
「何年間介護をしていたの?」と質問してくる。
脳疾患で急に半身不随になれば いつからとはっきり言えるが難病の場合 かかりだした日がわからない。徐々に体力が落ちていく病気を介護していたわけでそんなに何年かだとはっきり言えるようなものでもない。
兄弟3人で看た16年間の介護 に比べれば私はとても短いかもしれないが 介護者が一人だった私の介護内容はとても内容の濃いものなのではないかと察する。
父の難病をみつけてくれたドクターと連絡がついたことは以前も書いたがいよいよ明後日に会うことになった。先日電話をして2年半ぶりにドクターの声を聞いて とても安心した。
父の信頼していたドクターで 一時は私とそのドクターは診療において気持の擦れ違いがあったが ある時その気持ちをぶつけてみたところ お互いの信頼における気持ちが近づいたことを記憶している。ドクターと言えども一人の人間。診療における不満なり素直な気持ちを表現することから 信頼関係のある良い診療・診断がスタートするのではないかと思う。
高齢者はまだまだ「お医者様さま」と言って腫れものに触るように接する人が多いかもしれないが、自分の言いたいことをきちんと表現することが必要だ。そうすることによって 自分の症状をきちんと伝えることができ ドクターに理解してもらうことができると思う。そして的確な診断をして的確な薬が処方され効かない薬を処方されることがなくなれば 健康保険の無駄遣いも少しは軽減されるのではないだろうか。
今 いろいろなジャンルで何々アドバイザーというものが登場しているが 介護の世界ではベースに資格や研修を受講することが必要なものがほとんどだと思う。これも看護関連ということで医療がベースとなっている世界だからなのか。自宅で介護をしていた経験。それもどのようなレベルの人を介護していたのかも一つの履歴としてヘルパーの格を決めるのに活用するのも良い方法ではないだろうか。私のように難病で身体障害者1級の歩けない人を介護していたという履歴は 何年間ヘルパーをしていても家事援助だけで入っている人とは経験の質も量も違うと思う。イヤー本当に大変だった。
ところで一昨日 父の夢をみた。夢ではどこかの病院か施設に入院をしているようで 体の具合は悪いが 精神的な面は正常に近く私とほぼまともに話が出来た。私はこの夢の中では父に詫びるつもりもあり、優しく接していた。そんな夢をみたら 父の存在を抹殺するようで怖かった父の荷物の片付けであるが、少し片付けようかという気持ちになれた。時間がこころの薬だと実感した。
介護の世界は何かといろいろと難しいですね。せめて我々利用者にはわかりやすいことばにしてもらいたいものです。 また 介護の資格をとる時にも言葉が難しく 移乗とか嚥下とか咀嚼とか 難しい言葉・漢字の羅列で一度聴いただけでスッと入ってくる言葉ではありません。
自論では 看護の世界と通ずるものがあるとしている介護関連の方の気負いというか自負というか、そういうもののあらわれなのではないかと思うのです。 人に優しくする仕事なら わかりやすくするのも優しさだと思うのです。どうでしょう。
今の時代は いろいろな経験から自分で肩書きをつけられてそこから仕事が生まれる場合も多いと思うのですが、この世界ではそれはあり得ない。まず資格をとり、そこでの経験年数からまた次のステップの資格・仕事につながります。それでいて3kなのだから、ますます底辺が広がらないのは当然だと思います。生活習慣・文化の違う外国人の介護士さんに昭和時代のことを学んでもらって どれだけお年寄りの方と話が通じるのか。疑問ですね。やむを得ないということもあるのでしょうが。
日経新聞(2008.08.03)のsunday nikkeiくらし安心「いざ!オトコの介護」からの抜粋。
「超高齢社会を迎え、男性も親や妻の介護を担う可能性が高まっている。今や介護をする人のうち男性の割合は約3割という。仕事と「の両立からなれない家事の苦労や地域との付き合い方まで「男性ならでは」の難しさもある」とある。
「男性はまず自立した生活を送らないと、いざという時に介護どころではない」
以前自治体で行っている料理教室に行ったことがある。包丁も握ったことのない男性なのだろう。何を勘違いしたのか自分が頑張らなくてはと思ったようで、女性の中に混じってハリキッテいる。ところが何をさせても常識外の行動で、からまわりばかりで、どうも皆の中に溶け込めない。例えば、包丁を別室にある包丁を取りに行く時には「人に刺さると危ないから」と言って、料理実習中の受講者の込み合う中を頭の上に振りかざして「危ないですよー、通してくださーい」と大声を上げながら突進してくる。布巾か何かに包んで自分の懐のあたりに持っている方が よほど安全だと思うのだが。すべてがカラマワリ。ろくに包丁も使えなければお皿も洗えない。とてもキケンで落ち着かない、受講者が受講者をお世話をしなければならない料理教室を受けた覚えがある。料理教室に行く前に 包丁は頭の上に振りかざしたら危ないということぐらい学んでから料理教室に来るべきだろう。また、普段調理をしている女性の中に何も出来ない自分が入っても、その場で学ぶ以前のことがたくさんあるわけで、段階を踏んで来るべきであったであろう。
この事例に限らずこのようなことはよくあるわけで、自分が自立していないことを自覚していないことオトコの人いかに多いことか。
そして「オトコの介護の傾向」では①仕事と介護の両立が難しい。②他人に頼まず、すべて自分の手でしたがる。③仕事のペースできっちり計画を立てたがる。④他人には弱音を吐けない。である。
①の仕事と介護の両立は当然難しい。専業主婦で家にいて介護をするのも大変なのだから。④は男性に限らず女性でも弱音を吐くには相手を選ぶので性差はないと思う。
問題は2つ。まず②の他人に頼まず、すべてを自分でしたがること。男という生き物はイイカッコをしたいところがある。これは女でもそうだとは思うが、自分でさえ十分に自立していないのに、他人の世話をしようというのだから達が悪い。
女はセンタクで成長している。という話を聞いたことがある。洗濯することで仕事の仕方、段取りを身につけることもあるかと思うが、今私が言いたいのは選択することで、選ぶことで決断するということである。例えば、社会人になり仕事に就いて結婚する時には、続けるか辞めるか。またどちらの姓をとるかを選択して決断する。子どもを宿した時に、選択して決断して産む(産まない)。子どもが生まれたら、子どもが泣いたら今何をすべきか、オムツなのかミルクなのか、具合が悪いのか。選択肢を選択して決断してオムツを交換する。熱を出したら、どのぐらいの熱になったらどこの医者に連れて行きどうするかも選択して決断するのである。女はこのようにして、日々選択と決断を自己責任のもとで行ってトレーニングをしている。
③の仕事のペースできっちり計画をたてたがる。これも子育てをすると自然に育まれることであるが、人間相手のことで自分の立てたスケジュールで相手を動かそう、何かをさせようということはほとんど不可能。女はそこで待つということを学ぶ。(だから、もし私が自宅療養でリハビリが必要になっても、夫には介護をしてもらいたくないと今から宣言している次第である)
結局、女が子育てをするように 日々男を自立するよう若いうちから育てていくことが不可欠であろう。まずは、週末に買い物につきあってもらい、ものの値段を知ってもらうことから始めるのはどうだろうか。
介護中は身も心も洋服もボロボロで、自分のために費やす時間が皆無に等しかった。
介護を終えて鏡をのぞいたら、肌には艶がなく眉間に深いシワが出来て、口角は「へ」の字に下がっていた。試しに笑ってみたら、目は笑っているのに口角が下がったままで意地悪な人相になっている。私の介護も意地悪に満ちた介護だったのかしらと思い返す。
今まさにご両親を介護している友人に道でバッタリ会った。以前お会いした時にはイキイキとした笑顔とピチピチのお肌の持ち主でうらやましい限りだったのに、申し訳ないけれどもその面影は無い。
子どもの卒業式にコサージュどころかアクセサリもつけずに黒っぽい服を着て行って「まるでお葬式じゃないの」と笑いながら言われた。また謝恩会に行ったときには、私だけジーンズにセーターという姿で参加して、みじめでいてもたってもいられない気分になったことを思い出す。今の自分はみなと生活の次元が違うのだと実感した。そんなことを思い出しながら帰宅し鏡をのぞいたら、以前のような眉間のシワは薄くなり、口角も少しだけ上がった笑顔の自分に出会えた。
今その人に対して何かしてあげることは、その人の話を何でも共感して聴いてあげる機会を作ること。あとは時間が解決するしかないことなのかもしれないと思った。
以前も少し触れたが、在宅介護のトイレ介助は重労働である。時間の感覚が鈍った家族の介護の場合は尚更である。お腹がグルグルしているのか「大きい方が出そう」と言うので、介助でポータブルトイレに移動しズボンを下ろしてあげてやっと座らせたかと思ったら「ガスだった。もう出ない」とか「もう良い。ベッドに戻る」と言う。そうなのかと思いズボンを上げて介助でベッドに横にならせてお布団をかけて1~2分すると「やはり大きい方が出そう」という。それを3回ぐらい繰り返していると40分以上はつきっきりずっと介助をしているわけで、結構な重労働をすることになる。
冬はパンツの上にズボン下、厚手のズボンを履いているが、これらの上げ下ろしが結構大変だ。すべてゴムが入っているので結構力がいる。4回目ぐらいになると、しばらくトイレに座っていてもらうことになる。「もうトイレはしない。終わり」と言ってもしばらくの間は。こういう介護をしたことの無い人が聞いたら老人虐待だと言われるかもしれない。ゴムのはいっているものは来ていても楽だが、介助する方にとってはとてもやっかいなものだ。おかげで、介護の終わった今でもひどい腱鞘炎に悩まされている。雑巾絞り程度の作業でさえも10月ぐらい3月末頃までは痛みが走りほとんど出来ない。寒い時期半年はなるべく腕を使わないようにして、気候の良い半年は腱鞘炎が出ないように腕を使うという始末。
腕を使わないということは、ヒトが生活している中ではあり得ないことですが・・・。
介護用品 という名がつくととても高価になってしまうのですが、特に吸い飲みに関してはいろいろと使ってみることをおすすめします。
我が家の症状の場合は 低価格で購入したものは 傾けると急に水分が飛び出し飲みにくいと言って よくむせていました。他に看護・介護用の吸い飲みは3個持っていますが 3個ともそれぞれ使い勝手に特徴があり自分で飲む時と飲ませる時で使い分けをしていました。水分の口への入り方も3個ともそれぞれ少しずつ違いましたが 症状も関係したのか概ね同等に使いやすいものでした。
例えばご自身の洋服や靴を購入する前には体や足に合うもの 自分に似合うものを選ぶために何足も身につけたり履いたりして試すと思います。吸い飲みは購入して使ってみなければわからないもので 小さい割にとても高価です。しかし要介護者になくてはならない体の一部で生活を支える杖のようなものなのです。慎重に品物を選んで使うことが重要です。
要介護者に使用感を尋ねる あるいは答えられない状況であれば使用時の様子をよく観察し判断して道具を探すことが大切だと思います。
動線や視線を考えてデパートやスーパーではお店の向きや商品陳列が考えられています。
介護するご家庭でも 動線を考えて物を配置することで 無駄な動きが省けて効率的にスピーディーになおかつ疲れを最低限にすることができると思います。
たとえば電子レンジで温めるおしぼりタオルは電子レンジの上に置く。食事のときに必ず用意する佃煮類を小さなトレーにまとめて入れて冷蔵庫にしまっておくと 食事の時に簡単に用意ができます。それによって、要介護者は自分で佃煮を選ぶことが出来、あてがえぶちになりがちな食事でも選択する機会が得られます。同じく要介護者のテーブルの脚にティッシュの箱をしばりつけるようにして使いやすく設置するとかテーブルの上に蓋つきの小さなゴミ箱を用意するとか。これだけで介護者は手を貸さずに済みますし、要介護者は少しでも自分でやったという達成感が得られると思います。
介護動線は効率性が主体ですが 要介護者にとっては危険の少ない動線ということを考える必要があると思います。要介護者の動線を効率的にしようということで作業療法士の提案でポータブルトイレに一人で行きやすいようにとベッドサイドにあったポータブルトイレの位置を足元から頭の方に180度反対側の位置に動かしたことがありました。
実際はそれだけのことなのですが、移動の際に滑りやすくなってしまい 一人で夜中にトイレに行こうとしてベッドから滑り落ちベッドにとりつけてあるスイングバー(可動式の柵)とベッドの間に挟まり肋骨を折ってしまいました。
偶然にもその日が夫のいる日だったのでベッドから滑り落ちて挟まった体を二人で引き上げることが出来ましたが、あれが私一人しかいない平日であったら 挟まって痛がる親を救急車が到着するまで放置しておくしかなかったと思います。(介護は力仕事。特に緊急時はコツだけではどうにもなりません。こんな緊急時に一声かければ手伝ってもらえる機関があればと思います)
私の親は 寝ている間に体をあちこち掻きむしったり 経管栄養の管を抜いたりと小さな事件が多々ありました。また市販の介護用のミトンは高価ですし、手の大きい我が家の親の場合はミトンの中に手がおさまりきらずとてもかわいそうな状況でした。
そこでとても手作りで 大きなミトンを作りました。
作り方はとても簡単で 雑巾ぐらいの大きさに縫ったタオル4枚用意します。
2枚の三方を縫い 手が入るように作ります。
ミトンから手が抜けないように 手首のあたりを軽く縛る太めの紐を縫いつけます。
それを2つ作れば良いのです。
縫い付ける紐の長さを調整すれば 一時的に手の動きを制限したいときに応用がききます。
素材がタオルで柔らかく 汗も吸収するので蒸れにくく また洗濯も簡単で便利です。雑巾ぐらいのサイズなので大きく素材も厚いので 指を動かしても中で泳ぐだけで細かな動きは出来ません。ですから体を掻いても傷になりにくいのです。(市販の介護用ミトンは素材が硬いので傷になりますが好都合です)
病院に入院中にも これを持っていったところ 拒否されず使ってもらうことができました。手作り感いっぱいで(笑) 私の親に対する思いも感じ認められた(?)のもあったのでしょうか。。是非作ってみてください。おすすめです。
長期間にわたり薬を飲み続けていると副作用が出る場合もあるようです。
一番多い副作用は、食欲不振、吐き気といった消化器系の副作用のようです。
これらさほど心配する必要はないようです。
頭痛、めまい、胸が痛くなる、心臓がどきどきする、脈が乱れるなどの症状が現れたときは
多少注意が必要なようです。
自分の意志とは関係なく顔をゆがめたり、舌を出したり引っ込めたり、腕を動かす不随意運動が現れたとき、また幻覚・妄想などの精神症状が現れた時は注意が必要なようです。
異常を感じた時には とにかく何でも正直にドクターに話し相談しましょう。
薬の量や薬を変えることが必要な場合があるからです。
今 話題の本でご存知の方も多いと思いますが 本のご紹介をします。
「おひとりさまの老後」上野千鶴子氏著・(株)法研です。
東大大学院の教授ということで難しいことが書いてあるのかと思いがちですが ざっくばらんな語り口で 笑いながらまた納得しながら読める内容です。非常に読みやすく、寝る前に読んでもうなされることのない内容です。(笑)
これから介護予備軍の若い方・今介護に奮闘中の方どなたにも 将来の自分の老後について考えるテーマ・余裕を与えてくれる内容だと思います。
是非 自分を大切にするためにも 是非読んでみてください。
介護でのトイレ介助でよく行われる方法は、要介護者を正面から抱えて両脇付近のズボンやベルトを持って移動しますが、この方法でトイレに座らせようと思うと介護者はおじぎをするように腰を曲げるようになり腰を傷めてしまいます。特に家族がかいごする場合は1日中の介護になるわけですから腰を傷めるのは時間の問題です。
わが家では要介護者の後ろ側から介助をしていました。ズボンを下ろす時には腰を屈めるようになりますが、力をかける時にはズボンやベルトを真上に持ち上げるだけになるので腰を傷めずに済みます。それには もちろん要介護者の立ち上がりや座る脚力がある程度必要になるので、日頃のリハビリは欠かせません。
介護者も介助をする前には必ず腰のストレッチや準備体操を忘れずに行いましょう。
先日電車でとても軽量・コンパクトな車いすを利用されている75歳を少し越したぐらいのご夫婦がいらっしゃいました。アルミで出来ていて5キロ未満のもので、タクシーのトランクに入れ込むことができるということでした。タイヤが小さいため押して歩くには少々不安な感じでしたが、外出の時に軽くて扱いやすいと奥さまはおっしゃっていました。
岐阜の松永製作所http://www.matsunaga-w.co.jp/index2.htmlというところで作っているもので、残念ながら介護保険外だそうですが4万円ほどということで価格も重さもお手軽です。電車やタクシーを使って移動の多い時にはとても便利なものだと思います。2台目の車いすとして重宝すると思います。
介護にかかわらず 来客時にも喜ばれる蒸しタオルの作り方をご紹介します。
おしぼりタオルを熱湯に浸して絞るのは熱くて大変ですが 水で濡らして絞ってからビニール袋でくるんで電子レンジ。タオルの大きさによりますが40秒前後でアツアツの蒸しタオルが出来上がります。
タオルの大きさを変えれば、体を拭く時にも便利です。絞った形で置いておくので冬場でも冷めにくく、非常に便利です。
朝、起きた時や食事の前後にこのタオルを手渡すと 喜んで顔や首を拭いては気持ちよさそうにしていました。是非お試しください。
おまけに、我が家では電子レンジの上にいつも細く丸めた乾いたおしぼりタオルを5本は用意してありました。いつでもすぐに温かいおしぼりが出せるようにしていました。
介護の方法についてもっと真剣に考える人、場所があっても良いのではないだろうか。
古武道を用いた介護方法について時々テレビで放送される。その方法をもっと早く知っていればこんなに腱鞘炎がひどくならなかったのではないかと思うことがある。
(子育てで発症した腱鞘炎を介護で悪化させ、今や家事もままならない状態だ。)
介護用品もイマイチ使いやすくない。それはそうだろう。介助用品を使うのは邪道だという土壌なのだから、よりよいものの開発も期待できない。
要介護者の体格や症状によって介護用具や技術のニーズが異なるところがネックで進化がみられないのかもしれない。いろいろなニーズを集めて共有出来る情報から商品作りにつなげられないものか。介護方法・用具・技術の世界の進化の橋渡しが何かしらの形で出来ればと情報収集中である。
夏に向かってエアコンを使うご家庭が多いと思います。
しかし高齢者は活動量が少ないために ちょっとの温度差で冷えすぎたり寒くなったりと温度変化には敏感です。肌着を工夫することで夏を上手に乗り越えたいものです。
そこでスポーツ用品店では定番になっている涼しく感じるシャツ。 たとえばスポーツ用品メーカー・ミズノのアイスタッチというシャツは腕をちょっと通しただけでわかるほどヒンヤリとする素材でできています。(ミズノのまわし者ではありません(笑)ので念のため)サラリとした感触で、汗をかいてもベタッと肌にくっつくようなことのないシャツです。
おまけに涼感・速乾素材のため 洗濯も非常に簡単です。
シャツ1枚でお出かけするようなおしゃれなものではありませんが、家で来ている分には十分な小奇麗な素材とデザインです。通常の肌着に比べるとほんの少しだけお値段は張りますが、過ごしやすさを実感したらみなさんもきっとアイスタッチの肌着を着ることを選ぶことと思います。
要介護者だけではなく 体を動かしている介護者にももちろんおすすめです。
私はスポーツ用品店のまわしものではありませんが、是非スポーツ用品店でお試しください。似たようなものが肌着売り場にもあるかとは思いますが、スポーツを考えたシャツは本当におすすめです。
介護度が上がれば上がるほど 介護家族は社会から孤立して情報も入りにくくなりがち。
介護における情報は探せばいろいろありますが、現実は介護に時間がとられ情報を探す時間も余裕もありません。洋服を探す時のように 自分の好みやニーズにピッタリの介護道具を探すのは介護保険内ではなかなか難しく 大きな悩みでした。
要介護者・介護者の状況が様々なので「コレ」と一概には決められないことが多く 我が家の場合はどの方法が良いのかと迷うことの多い日々でした。数ある選択肢の中からひとつを選ぶ時に 相談相手がいると頭の中が整理できるのにと思うことがよくありました。
現在のシステムは要介護者のことには相談にのってくれますが、介護家族の状況をよく知り相談にのってくれる場があまりないこと 世の中に知られていないことが社会から孤立していく一つの原因だと思います。介護家族の相談にのる・守るシステムが出来あがらない限りは、今後さらにすすめていこうとしている在宅介護を問題なくスムーズに普及していくのは現実にはなかなか難しいように思います。
硬縮とは病気や使わないため(廃様性症候群)に手足などが曲がって固まってしまうこと。そのような足の人をトイレ介助は大変なことである。ベッドからポータブルトイレに移動させることも大変難しい。その理由は足が曲がっているので上手に足が動かない。そして立っていられない。
足の付け根が曲がった状態のため、パンツやズボンの上げ下ろ時の抵抗が多くとても重く大変労働だ。
男性の場合は元々手の筋肉が発達している人が多いのでベッドのスウィングバーやトイレのひじ掛けを持って何とか少しの間でも立っていてもらえることもあるが、それも足の硬縮状況にもよる。
硬縮予防グッズもあるが、結局夜中の睡眠中に膝を曲げて楽な姿勢になってしまうこと。また昼間に起きている時間に椅子に座っていることで膝が曲がってしまうことが原因と考えられる。長い時間横にしておけば背筋・腹筋が弱ったり褥瘡になるし、椅子に座っていれば膝や肘の硬縮がすすみお尻も痛くなるし。立てない、歩けないということは体の様々な所にスパイラルで影響を及ぼす。
硬縮予防は本人にとっても介護者にとっても根本的なテーマである。
トイレ介助の大変さは家族でなければわからないものかもしれない。
介護家族は1日に何回も同じ動きで介助を繰り返しているのだから 体を傷めるのは当然のことだということを世の人はおわかりでしょうか。デイザービスなどの介護職の方にはなかなかわからないかもしれない。老人施設で介助をしている介護職の友達にそのことを話したが「何が大変なの?」と不思議そうに尋ねられた。
手足の硬縮が強い場合には移動から下着のあげおろしまで一連の動きがある。移動はもちろん大変だが、下着やズボンの上げ下げはこんなに重労働であったのかと再認識する。
友人は手足の硬縮の強い自分よりも体の大きい親をトイレ介助をするのに肩にもたれかけさせるように介助をして、頸椎を傷め手術した。
同じく私は両腕がひどい腱鞘炎になり、それを保護するように動いていたら四十肩になってしまった。その腱鞘炎は未だに日常生活の中で見え隠れする。包丁でジャガイモを3個ぐらいむき終えたあたりから腕がだるくなり動かなくなる。布団のあげおろし、掃除機かけ、買い物など日常生活の様々な部分ですぐに発症するので厄介だ。
繰り返しになるが、トイレの介助は1日に何回もあることなので本当に大変な重労働だ。
親の死後1年半経った今はその傷みがあるたびに「いろいろなことがあったけれども我ながらそこまでよくやった」と自分を褒めるのが日課になっている。それは本人から感謝の言葉もなく誰からも褒められることがなかった私に対する勲章のようなものかもしれない。
介護の質については介護生活を卒業した今も未だに自分を責めることがあるが、腱鞘炎という勲章が私のこころのケアをしてくれるものになっていることに間違いはない。
介護家族は 様々な場面でこころをいためることが多いのではないでしょうか。
介護家族は身近な人からの言葉で一番傷つくのです。たとえば、家族・兄弟・親戚・専門職。
周囲の人の意見にまどわされたり振り回されることがありますが 一番大切にしてほしいのは自分の気持ち。
自分を大切にしなければ介護は成り立ちませんよね。
それでも介護家族に意見を言う人がいたら こんな言葉を言う勇気が必要なのではないでしょうか。
「あなたは全面的に面倒をみてくださいますか。
面倒をみられないのであれば口を出さないでください。
だって今は私がキーパーソンなのだから。」と。
ちょっと過激ですが 混乱の元を断つことで余計なストレスから解放されますよ。
介護は家庭内で限られた人間の中で行われるので 偏った人の介護負担が大きくなっていることが多いのではないでしょうか。本人は抱え込んでいるつもりはないのですが 新しい情報が入りにくい環境、いろいろな人と出会うチャンスもない状況のため 一人で思い悩むことが多いのではないでしょうか。
その悩みは あなただけが思っていることではないと思いますよ。 表現する機会が無いだけで みなが経験している悩み・思いかもしれません。 同じような悩みで傷つき あれで良かったのかと介護が終わっても なお思い出してはため息をついている人が 私の周りに結構います。
その思いはあなただけではないのです。その思いを是非 どなたかに聴いてもらいましょう。同胞が身近にいるかもしれません。
1日8時間しか働かない(介助をしない)介護の専門家はスキルのあることをプライドにして働いているのかもしれません。でも実際は腰を傷めたり重労働ということで、辞めていく介護の専門職が多いのです。介助用具を使えば少しは楽になるかもしれませんよね。そして最も大切なのは、介護される方に気兼ねをさせずに介助してあげることが介護者のプライドよりも大切なのではないでしょうか。
以前、あまりにも介護が大変なので、介助道具をレンタルしようかと思うと担当のケアマネージャーに話したことがあります。
その時に返ってきた答えは、介護をするときに介助用具を使うのは邪道ということでした。
実際にうちで利用していた介護用品店の人に聞いても、用具は売っているけれども邪道だということであまり使われていないという話も聞きました。
家で介護をしているは家族は休みなく一日中介護をしているのです。
そのような人にまで専門家の価値観を当てはめるのはいかがなものかと思います。
使いやすい介助用品・介護用品がなく、またそれをコーディネイト出来るケアマネージャーがあまりにもいなさすぎると思います。今後の課題は介護する人、される人に優しい介護関連商品の開発がのぞまれます
数十年前は調理にハサミを使うなんて邪道でした。しかし今やキッチンバサミは生活の中に入り込み、まな板がなくてものを切ることが浸透し、電子レンジのおかげでお鍋がなくても調理をする人がそれなりに認められる世の中になりました。結果、おいしいものが作られれば良いという世の中になりました。
同様に良い介護が出来るように介助用品をどんどん活用すべきだという時代にしたいものです。
家族が介護するということは 都合の良い面・不都合な面の両面があると思います。
実の親を介護するのかパートナーの親を介護するのか。それが父親なのか母親なのか。介護する家族が男性なのか女性なのかによっても異なると思います。
介護というのは両者の関係の歴史で 様々な状況が想定されるということはよく言われますよね。
両者の関係が上手くいっていた場合は 比較的スムーズに介護が進むことが多いのではないかと思いますが、大切なポイントは お互いに感謝の気持ちを忘れないということだと思います。
感謝のことば、たとえば「ありがとう」の一言のある介護現場では 基本的な介護家族の心のケア はしっかりなされているのではないでしょうか。
パーキンソン病の人が飲食中に咳をしだしたら
嚥下が悪くなっていることを疑う必要があるかもしれません。
そのまま放置していると食べ物は食道にいかず気管の方に入り誤嚥性肺炎肺炎をおこします。
肺炎を予防するために 胃に小さな穴をあけてチューブから胃の中に食べ物を入れる胃ろう(経管栄養)という手段があります。以前は鼻からチューブを入れていましたが鼻腔内がただれてしまうなど様々な弊害がおこることがあるようで、最近は胃ろうにすることが多いようです。
胃ろうの造設は簡単な手術で数時間で終わる手術です。
胃のあたりの皮膚にプラスティックの蓋のようなものがとりつけられます。
食事の時にはその蓋を開けてチューブをつなぎ ドロドロのお粥状のミルクセーキのようなものをチューブでおよそ2~3時間かけて点滴のように落としていくものです。
メリットは誤嚥性肺炎をおこしにくくなりますが、デメリットは噛まないので顎の筋肉がおちて口が開閉がしにくくなります。その方の体調にもよると思いますが眠っている時間が長い人はお喋りする言葉が聞き取りにくくなるかもしれません。(モゴモゴと何を言っているかわからない状態です)
胃ろうを増設しない場合は、誤嚥性肺炎を繰り返し体力を落としていく可能性は大ですし、栄養不良で体力が落ちていくのを見守るしかありません。家族本人は増設するかしないかの判断ができる状態ではありませんでしたので、私に委ねられかなり迷いましたが 胃ろうの増設することを決断して良かったと思っています。
便秘はパーキンソン病の症状と考えられているようで
三日に一度ぐらいの排便が苦痛の時は薬を飲んだ方が良いようです。
排便は生活の質を大きく左右し
おなかの不快感はその日の精神状態にも影響します。
いろいろ試しましたがパーキンソン病症状による
食事での排便調整は非常に難しかったです。
パーキンソン病の症状には
電気のスイッチを入れたり切ったりするときのように
急に動けなくなったり突然に良くなって動けるようになる現象があります(オン・オフ現象)
このような症状が現れた時には ドクターに相談しましょう。
お薬の調整をしてくれるはずです。
私の家族の場合には オンオフ現象ではありませんが
通常は震えていない手が震えてくることがありました。
難しいことを要求されて困ったり、不満に思ったときなどストレスがかかったときに現れたような気がします。
このとき 早めにそのストレスから解放してあげると 手の震えが止まりました。
パーキンソン病は病気が進行したり治療の間に
すくみ足、すり足、小刻み歩行などの症状で歩行が困難になります。
小刻み歩行やすり足には腕を大きく振り、足を高く持ち上げる気持で歩くことをお勧めします。
また 家族は本人と一緒に 「イチ・ニ・イチ・ニ」と声かけをしながら歩くと 意識して足を高くあげて歩くことが出来ると思います。
第一歩が踏み出しにくい時には すぐに足を出さずに一歩後ろに下がってから一歩踏み出す。
あるいは 踏み出すときに 前方向に物をまたぐようにして一歩踏み出すと歩きやすくなりますよ。
家の中であれば 床に見えやすい色のビニールテープや割り箸を貼っておき それをまたぎながら前に進むのも一つの方法です。
風邪薬、抗生物質、睡眠薬などはパーキンソン病の薬と一緒に飲んでも問題がないと一般には言われています。
今、飲んでいるパーキンソン病の薬を自分の判断で中止することの方が問題です。
しかし胃腸の薬、高血圧の薬などはパーキンソン病の症状を悪くすることがあるようです。
他の薬を飲むとき、他の診療科で診察を受ける場合は 主治医に相談しましょう。
おまけ・・・
サプリメントは食品です。薬ではありません。
薬は動物実験を繰り返して安全性が認められたものですが
サプリメントはあくまでも食品で 安全性については不確かです。
たとえば血糖値を下げる薬を飲みながら血糖値を下げるというサプリメントを飲んでいたらどうなるのでしょう。サプリメントについても薬と併用するときは医師・薬剤師に尋ねたほうが良いでしょう。
パーキンソン病の人はよだれが出て 洋服がベチョベチョになることがあります。
唾液が多く出ていると思いがちですが
唾液が出てもすぐに飲み込めないために
唾液が口の中にたまったり 外に流れ出てきてしまうようです。
絶えず意識して 口の中の唾液を飲み込むように心がけた方が良いようです。
パーキンソン病の薬は効くものほど副作用があるようです。
副作用は嘔気や食欲低下のようですが、多くの場合一時的なもののようです。
症状に適した薬を飲むことで、副作用が少なくなり症状が改善されるようです。
ドクターが決めた一日の薬の量や服薬回数を守って飲むようにしましょう。
自分の判断で薬を中止したり、一日に飲む薬の量を調節してはいけません。
これは基本中の基本です。
薬を急にやめると、症状や身体の状態が急に悪くなることがあります。
私の家族の場合、私が何日か留守にした間に 本人は薬を飲み忘れていました。
急に体の中の薬の濃度が下がり
体が動かしにくくなり足が絡んで転びました。
それが原因で横紋筋融解症(俳優・中尾彬がチョット前に患った病気)になりました。
非常に危険な状態になりましたが 結果、体は比較的動けるまで回復しました。
但し 指先の動き・感触の鈍さは後遺症として残りました。
横紋筋融解症 という病気は 飛行機などにずっと座っているとお尻が痛くなりますがそのような状況でも病気のようです。元気な皆さんも気をつけましょう。
パーキンソン病の症状にはかなりの個人差があります。
専門医が診れば、代表的な症状を持つ患者さんの診断はさほど難しいことではないようです。
私の家族の場合、何人かのドクターに診てもらいましたが病名がわかりませんでした。
あるとき、まったく違う科で働く看護師さんに「パーキンソンみたいな歩き方ですね」と言われました。
その一言が治療の一つのきっかけとなったことは確かです。
そんなあるとき 広報で「歩きにくい方、難病の方の相談会」という記事をみつけ
診てもらうことになりました。
そこでは症状を説明し、ドクターが両手を握ってブラブラとする程度でしたが
すぐに病名がつきました。
難病であることは残念なことでしたが ハッキリと病名がついたことで
本人はとても安心し 以降そのドクターを信頼しきっていました。
パーキンソン病は
身体をうごかすために神経に命令を送るドパミンが不足することによって発症すると考えられています。
パーキンソン病の症状は、手が振るえることはよく知られていますが
筋肉が固くなる、動作が惜しくなる、姿勢を保つことが困難になるという 4大症候が現れます。
またすり足、小刻み歩行なでおの歩行障害。
声が小さくなる、食べ物を飲み込みにくくなどの運動症状。
便秘、トイレが近くなる、よだれが出るなどの生活関連症状。
元気がなくなる、幻視・幻覚などの精神症状が現れることがあります。
歩行障害、運動症状はご本人の生活の質を大きく左右しますが
生活関連症状と精神症状は 介護家族が大きく巻き込まれる部分です。
パーキンソン病の治療の目的は、症状の改善と長期にわたる生活の質の維持です。
症状を軽くする方法、治療(BBS:脳に刺激を送る)が開発されてきています。
しかし、まだまだ現状では症状が重篤な方向に進むことを遅らせることを目的とした投薬が主たるものです。
投薬・理学療法・作業療法・嚥下訓練などを上手に組み合わせて 症状と上手に付き合うことをお勧めします。
長期にわたる闘病が予想されます。
まずは 病気に対する知識を身につけて 家族としてどのように向き合っていくべきかを考えることも必要でしょう。
介護というのは子育てと違い 衰えていくおとなのお世話をすることです。
これは想像以上に厳しいのです。
例えば
介護者が要介護者の衰えていく姿を受け入れられないことが原因の一つです。
これは近親者であればあるほど受け入れられないことだと思います。
(病気に対する理解不足もあるかもしれませんが)
またある人は、要介護者との関係性があることでしょう。
これには要介護者との歴史があるのでなかなか難しいのですが これも近親者であればあるほど様々なことが絡み合ってストレスの原因になることもありますよね。
ストレスを軽減させる自分の許容量を増やすことが必要で
ストレスを水に例えると それを受けるバケツから水があふれ出るのを防ぐこと。
つまりバケツを大きくし それでもダメなら バケツに穴をあけることでが必要だそうです。
発散チャンネルを増やすことも必要で 有酸素運動やリラックスすることが効果的だそうです。
私はこの穴をあけるのが下手で
介護はすでに終わっているのに なんだかモヤモヤ。
そのときのことを思い出しては ため息をついたり。
私の経験から言えることは
いつまで続くかわからない介護ですが その場をこなすのではなく
後悔しないような介護をするよう心がけることだと思います。
将来、ストレスを抱えずに楽に生活ができると思いますよ。
おまけに 要介護者の素直な感謝の気持ち「ありがとう」の一言がもらえれば
ストレスはほとんど解消できるのですが
ウチの場合は難しかったです。 。。
介護をしているときは特に 「〇〇をしなければならない」 は禁句です。
手を抜く方法を常に考えて行動することを提案します。
たとえば
食を大事にしているのであれば 手作りのおいしいものを作り 掃除で手抜きをしたり
清潔・衛生を大事にしているのであれば 洗濯・掃除は一生懸命にして
食事づくりは少し手を抜き 買ってきたお惣菜と野菜やお豆腐と組み合わせるとか。
疲れた体を休ませるため。
ちょっとだけ頭を働かせて
衣食住の何に拘り 何に手を抜くか考えてみてはいかがでしょうか。
因みに 私は衛生に拘り
様々な感染症から身を守れるように出来るだけポイントを絞って掃除、洗たくをしていました。
そのかわり 家の外回りの雑草、落ち葉などの掃除には
目を向けないよう、 気付かないようにしていました(笑)
どこか一か所の手を抜くと 気持ちが楽になり 無理な力が入っていた体も楽になるような気がするのは私だけでしょうか。
介護をしているご家族に「頑張らないで介護をしてください」と言われることがままあります。
具体的に何について言っているのか定かではありませんが
介護をするには ある程度頑張らなければできないことですよね。
奇異な言葉です。
介護は子育てと同様 忍耐です。
たとえば ゆっくりしか動けなくなった人に介助をすればすぐに目的に到達できます。歩くのが遅ければ車いすに乗せて移動してもらえばすぐに目的地に着きます。食べるのが遅ければ どんどんと口の中に押し込んでしまえば早く食べられるかもしれません。しかしその人のいま持っている能力を最大限に引き出してあげることが重要です。それはリハビリにもつながるのです。
根気強く見守るには家族の忍耐の頑張りは不可欠だと思います。
「人脈日記」みんなその日まで①
「呼吸器の母 12年の介護」 より
ALS(進行性の難病・筋委縮性側索硬化症)のお母様を12年間介護をされたご家族のお話。
ALSは、ご自身の意識はしっかりしていながら 体が動かなくなる病気。
呼吸器をつければ長く生きられる。
しかし呼吸器をつけるために気管切開すれば話ができなくなる。
ご本人は長く生きられる分、家族に迷惑をかけるという気兼ねがあり
ALSの患者さんの80%以上は呼吸器をつけずに亡くなっていくという。
家族の辛さ、切なさ。これは悪くすることは遅らせられても良くなることのない難病特有の心理だ。
「死にたい人間なんていない」
そして「そんなことをしないですむ世の中にしたい。だれにもいずれやってくる、その日。その日まで、生きる。」とある。
ご本人の究極の選択、
その選択を見守る周囲のご家族の心境を考えると
私の経験から言うと 在宅介護とは衰えていく家族の現実を受け入れることとの闘いでもある。
介護最中のご家族、将来残されるご家族の こころのケア をすることは
在宅介護の層が広がり、継続し生活の質の向上につなげるためには不可欠ではないだろうか。
様々な疾患で歩きにくくなった方がよく履かれている靴はいくつかのお決まりがありますね。
私の見聞きした経験上、入院先の病院等でリハビリを担当する理学療法士の方は
ご家族の経済の負担を考えるのか 「バレーシューズでも結構です」とたいていおっしゃるようです。
でも あの足の甲の薄い靴に 動きにくくなった浮腫んだ足を押仕込んで歩いてはたして歩きやすいの
かどうか。私たち健康な者も快く歩くことが出来るものなのかどうか。疑問に思います。
5千円前後出せば歩きやすい上におしゃれな靴がたくさん出てきています。
足が不自由なのですから そんなに靴も傷まないと思います。
おしゃれな靴を履くことで 「お散歩に出かける」 という目標も出来れば、辛いリハビリも少しは頑張れるのではないでしょうか。
一度専門店を覗いたりカタログ見るとお気に入りのものがみつかるかもしれませんよ。
あなたの大事な方のために ほんのちょっとだけ時間をかけて あなたが足を実際に入れてみて
履きやすいものを 探してみてはいかがでしょうか。
介護用用品というのは なぜあんなに高価なのでしょう。
確かに 靴下の履口や肌着のゴム部分はやわらかいゴムを
使っていて非常に履きやすく袖ぐりも大きく着やすくなっています。
でも洋服でも肌着でも共通して言えるのは品質もさほど良くないですよね。
第一おしゃれとはほど遠く・・・
おしゃれというわけではない私でさえ アレを着させられたら
さびしいです。
生きているハリ・楽しみ・リハビリをする気力も落ちるのではないでしょうか。
そこで私は 浮腫んだ足に優しい靴下として
足首にあまりフィットしないやわらかめのゴム網のさほど高価ではない靴下を購入。
そして 購入して数週間はラップの芯などを靴下の中に入れて
履口をいっぱいに伸ばしてから履いてもらうようにしていました。
足首に食い込むことが防げるので 履いていて
楽なようでした。
浮腫んだ足に靴下をはかせると ゴムの跡がついて益々血流が悪くなります。
そんな時には足首部分の無いソックス(スニーカー用の室内履きのようなもの)を履いて
足首にはスパッツをして靴下のように足を覆います。
浮腫んでいても足の出しいれがしやすい足首無しのソックスと 緩めのスパッツ。
この組み合わせであれば 男性の大きな足の人にも対応出来ます。
また足首をふんわりと包むので 普通の靴下よりも温かいようですよ。
おすすめです。
畳は 車椅子では走りにくく 靴下履きで歩くには意外と滑りやすいのです。
そんな時は オフィスで使っているような50センチ四方のカーペット(滑り止め付き)を必要な部分にだけ敷き詰めるととても移動しやすくなります。
雨の日は同じカーペットを玄関に敷いておくと滑りにくく 家族皆が歩きやすくなります。介護者が滑っていては介護になりません。ぜひお試しください。
我が家で使っていたポータブルトイレを正面から撮影したものです。
便座の奥に温水の出るシャワーがついています。
便座を上げると専用ポリバケツを入れるようになっています。
ポリバケツの下の本体が汚れることは基本的にありませんが、汚れても掃除がしやすいですし、下に水が漏れることもありません。
ポリバケツに蓋がついていますが臭わないので我が家では使ったことがありません。
我が家で使っていたポータブルトイレです。
暖房便座がついていて温水シャワーでお尻が洗えます。
またこれはビデの機能もついています。
消臭ファンがついていますので、大便をしている最中は勿論臭いませんし、内側のバケツに3分の1ぐらい水を入れておけばした後も全く臭いません。優れもので重宝しました。
向って右側にあるパネルのようなものはトイレ本体についているスイッチのコントローラーです。
コントローラーが置いてある台はトイレットペーパがセット出来るようになっています。
トイレの前脚部分と台の土台が連結出来ようになっていますので、倒れる心配がありません。
今回は写真に写り易くするためにこちらを向いていますが台は自由自在に角度が変えられますので使いやすくなっています。また呼び出しのボタンがついていますので用事のある時に押せばベルがなります。
トイレの後ろ側に水を入れるタンクがついています。たっぷり使っても最低でも3~4日は持つと思います。
何の機能もついていないポータブルを使ったことがありますが部屋中臭いがこもって使いづらかったのですが、このトイレは少々お高いのですが家族はとても助かりました。
ポータブルトイレを利用したとき、特に大きいほうをした時にお部屋中が臭ったという経験はありませんか。それ用の消臭剤や消臭シートが売られていますが、日々使い続けていくには結構なお値段ですしやはり匂いが気になります。
そこで内バケツに大便が沈み込む程度の水をあらかじめ入れておきます。
すると驚くほど臭いも放たず、お部屋の換気もさほど必要がありません。
それでも気になる方には、是非消臭用のファンのついている温水ウォシュレット・温風付の便座がお奨めです。
トイレを使ったことに気づかないほど臭いがしません。
介護時のベッドシーツは汚れやすく、また交換も重労働です。
そこで大きなシーツ1枚 と 長さ2分の1から3分の1にカットしたものを1枚用意します。
最初に大きなシーツをかけ、その上(汚れやすい部分)に小さいほうをかけます。
ベッドを乗り降りする部分の布は薄くなりやすいのですが、この方法をとることで部分布を取り換えるだけで非常に簡単ですし、洗濯しても軽くて楽で簡単に乾くというメリットもあります。
布が薄くなったらその布を変えれば良いのですから、大きな1枚布を使うよりシーツが2~3倍長持ちするわけです。
ブログを始めました。
「介護の一工夫」は難病老人介護で経験し学んだ介護知識や介護に関する情報を発信するブログです。
週に2回ぐらいがんばって更新しますので、のぞきに来て下さい。
以下の内容は[介護の一工夫]について記したものです。
タイトル:介護の一工夫
サブタイトル:介護経験主婦によるブログ
内容:難病老人介護で経験し学んだ介護知識や介護に関する情報を発信します。
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