気軽にオムツを?

2008年9月29日月曜日

先日の新聞に 気軽にオムツを使いましょうという記事があった。
確かにちょっと出かけるにも 間に合わないことが心配で出かけられない人が結構いるという話は聞く。そういう人には良い情報かもしれないが、とはいってもオムツを履く前から予想がつくが 違和感は確かである。生理用のナプキンでさえ仕方なく使うものであって あのようなものでお尻をスッポリ包んで気持ちよくいられる人はそういないだろう。オムツメーカーが情報を操作しているのかしらと思うような時代錯誤の記事であった。

わが家の介護では昼間は普通のパンツで頑張ったが 夜頻繁に起こされ睡眠がとれなくなり体調を崩したので やむを得ず本人にも事情を承知の上でオムツしてもらった。しかしそれがいけなかったのか気分が滅入って、鬱の状態がより進み 老化が一気に進んだことは我が家では既に証明されていることである。もちろん世の中でもそういうことは言っている。 

介護する側も オムツは蒸れないと言っても実際に使った後のお尻のケアは欠かせないので パンツの時よりも手がかかることも知っておきたい。オムツの紙は布よりも硬いので褥瘡も心配である。使い始める前に 介護する側のお尻のケア手間やご本人のオムツを使ってしまっているということが心のかげになりが余計に手がかかることもあるということを知っておく必要があるのではないか。

介護施設のベッドは空いているのに

2008年9月24日水曜日

報道番組で 介護施設のベッドは空いているのに介護者が不足していて 要介護者が受けいられらないという報道がなされていた。勿体ない話だ。何万人もいる待機者の中でも 切羽詰まった要介護者はかなりいるはず。その空きの介護施設のベッドをその方たちが利用出来たら どんなにご家族の生活の質が変わることだろうと思う。

介護者は輩出しているのに 重労働の上に薄給なために続かないということ。ベッドを購入するお金があるのであれば ベッド数を減らして介護者の労働条件を上げ労働者を増やすことの方が先決だ。94%の施設で人材が不足しているという調査結果で明らかである。


私の職場に4ヶ月ほど介護施設で働いていたが志半ばで辞めてしまった人がいるが彼女も重労働薄給。その上あまりの介護の質の低さに落胆し またその中で働いていくことができなかったとのことである。彼女のいたフロアは起床から朝食までの間に一人で30人の人を起こして硬縮のある人を着替えさせて オムツをとりかえたり 行ける人はトイレに行かせて 朝食の席につかせなければいけなかったとのこと。 朝8時の朝食のために朝5時から起こし始めないと間に合わないとのこと。

フロアによって対処の仕方が異なるらしく 朝早くから起こさなくて良いように 汚れたら着替えるフロアもあるらしい。そこではジャージの人あり、普通の洋服の人あり。ご家族の持ち込んだ衣服を着ているようだ。面会に行ったときに まさか自分の親がその洋服のまま寝かされているとは思いもよらないであろう。生活のメリハリを考えると昼間と夜では着替えた方が好ましいが、職員の手や着替えのために朝5時から起こして説明して理解してもらう余裕がないために無理やり服を脱がせて着替えさせるのが入所者の方にとって好ましいのか。
彼女もわからないと言っていたが 私もわからない。

利用者の立場から言うと介護施設を選ぶポイントは 実際にはどのような介護が行われているか詳しく聴き、質問をし 出来ればその内容を録音をし現場を見せてもらうぐらいのことは必要である介護施設のベッドが空きやすいとか施設がきれいだからと安易な理由で介護施設を選ぶのは介護の質は勿論、入所者の人権を守るためにも注意を払わなければいけない点である。
またいつも求人をしているような施設は 職員に対して何か待遇が悪いことが予想されるうえ チームワークの良さという点でも期待出来ないことが予想される。人員が足りていても不足していても その施設からの請求金額は同じであることは間違いない。  

精神対話士の試験を受けてきました

2008年9月23日火曜日

某協会によるメンタルケアスペシャリストの資格は半年前に取得したのだが その延長線上にある精神対話士の試験は体調を崩したために半年遅れで受験した。試験は面談で、グループ面接と個人面接。グループ面接は面接官二人対受験者が8人で、口頭による質問に対して順番にこたえるもので、講義で学んだことの集大成の質問。とても緊張する雰囲気で、私の並びの左右の人はガタガタ震えている様子が横目でうかがえた。

それとは対照的に 個人面接は面接官の方はにこやかに迎えてくださり 和やかな感じで進められた。自分の問題意識を持っているテーマに関して答えるもので 自分を出すものだったので とても答えやすく自分の全てを表現することが出来たと思う。

この試験は この資格を主催している協会の入会試験のようなものでもあるので 合格したあかつきには現場での活動が始まることになる。
いかに自分を出さずに人の話を聴けるかが試されているものだとすれば 自分を出しすぎた。今回の試験は不合格になるだろう。今回は活動に直結する試験なので 協会の意に沿うような人間であるかどうかをみるものであるとそう思えば合・不合格を気にしなくとも良く 気が楽になる。

今後この協会の講座で知り合いになれた教授と精神対話士の部分での活動の面でつながれれば万々歳だ。
講座が始まってから1年。長くもありあっという間でもあった。自分にお疲れ様を言いたい。

学術集会に行ってきました

2008年9月16日火曜日

今回の会長である教授のお誘いがあり 日本家族看護学会に行ってきた。半年間待ちに待ったものだった。2日間に渡るもので 内容の濃いものであった。自分のしてきた介護がどういうものであったのかを客観的に見ることも出来た。 それはどうしても口に出して言うことが出来ず 自分のこころのなかに収めてあったものが的確に整理され発表されていたから

家族看護が必要であるにもかかわらず 家族看護学という学問が存在していないことの問題点や研究をいかに学問にしていくかを話し合うという裏の部分も知ることが出来た。

看護を受けることが終わった(父の逝った)数か月後に 介護でお金をもらうヘルパーの勉強をした。これは介護を受ける家族の反対側を知りたかったから。私はジャンルを問わず 両面から見ることは視野を狭めないために不可欠と思い いろいろなことに関して反対側からも見るようにしている。その一貫のことだ。
しかし今回の学会は 反対側だけではなく自分のしたいことに直接つながる部分が非常に多く盛り込まれ とても勉強になった。今回の学会が 世の中に貢献するという私のしたいことの第一歩に繋がればうれしい限りだ。

こころのケアをしてくれる 恩師のドクター

2008年9月15日月曜日

父の病気を見つけてくれた恩師であるドクターに2年半ぶりに会ってきた。かかっていた病院からはるかに遠い病院への転勤だったので最期まで診てもらうことが出来なかった。しかし後輩の神経内科医が我が家の隣駅の病院で診察をしていたのでそこの病院で最期まで診てもらうことになったという経緯がある。先輩の患者さんということでとても大事にしてもらえこと。その後の病気の経緯。そして 父の介護をして思ったことやそこでの経験や世の中に貢献したい自分の気持を話してきた。

そのドクターは元々リベラルな考えを持っている方で 難病患者の往診をもしていることもあり 人間味にあふれている。私のしたいことを十分に聴いてくれた上で ドクター側ではなく ナース側で活動すると良いこと。その他 難病患者は個性が強くなっているので 自分に出来るかどうかを試しで活動した上でライフワークにした方が良いことなどいろいろとアドバイスをしてくれた。

以前の病院にカルテはすべて置いてきているにもかかわらず 父の病状・経過を驚くほどよく覚えてくれていた。パーキンソンであったことは間違いないが厄介な病状でどうにもコントロールできなかったこと。坂道を転げ落ち始めたらそのスピードを抑えられないほど病状が悪化したこと。
父の病状を振り返りながら 私が一人で薬を取りに行ったときに話した私の心情もよく覚えてくれていて そして本当に大変な病状だったことをドクターが一緒に振り返ってくれた。2年半以上前のことであったにもかからわらず 昨日のことのように覚えてくださっていたのには驚いた。
あっという間の1時間であった。朝9時に出発して6時に帰宅と1日がかりになったが会いに行って本当に良かった。父と同様 私もこのドクターを信頼していて なぜか私も言いたいことをつい言ってしまう。
特別な専門的な技術を持っていて ドクター対象の講演をあちらこちらで行っている方なのだが 偉そうなそぶりを一切見せたことがないお人柄のかもし出すものなのだろうか。

通常転勤というとランクアップを狙うところだが 明らかにランクダウンである。しかし自分の目標に向かってのランクダウン。欲に目のくらんだ人間・ドクターの多い中 お人柄が前に出たドクターが世の中にたくさん輩出されることを祈るばかりだ。
最後に 今後も連絡がとれるようお願いをして帰宅した。

介護の日

2008年9月5日金曜日

1ヶ月ほど前に 介護の日(11月11日)が誕生した。介護について何に焦点を絞るのか。介護従事者の賃金を上げるとか勤務時間を検討するとか?家庭で介護をしている人がどのような生活を送り、どのような精神状態で日々過ごしているのかスポットライトを当ててほしい。

ところで 同じ職場に「16年間介護をしてきた」と自慢をしている女性がいる。夫の転勤先について行き 転勤先で大学院に通ったというとても勤勉な女性だ。介護をしながら大学院に行ったとは かなりの努力家だと思ったが、よくよく話を聴いてみると 転勤先には親を連れていかず 東京に残していったとのこと。おまけに「ボケがひどいので老人ホームに入れている」という発言もあり、そういうのも介護と言うのかとびっくりした。

冷静に考えてみれば 重い介護を16年間もできるわけがない。
親の介護をしたことがなく親とも同居していない人に限って
「何年間介護をしていたの?」と質問してくる。
脳疾患で急に半身不随になれば いつからとはっきり言えるが難病の場合 かかりだした日がわからない。徐々に体力が落ちていく病気を介護していたわけでそんなに何年かだとはっきり言えるようなものでもない。

兄弟3人で看た16年間の介護 に比べれば私はとても短いかもしれないが 介護者が一人だった私の介護内容はとても内容の濃いものなのではないかと察する。

恩師に会える

2008年9月2日火曜日

父の難病をみつけてくれたドクターと連絡がついたことは以前も書いたがいよいよ明後日に会うことになった。先日電話をして2年半ぶりにドクターの声を聞いて とても安心した。

父の信頼していたドクターで 一時は私とそのドクターは診療において気持の擦れ違いがあったが ある時その気持ちをぶつけてみたところ お互いの信頼における気持ちが近づいたことを記憶している。ドクターと言えども一人の人間。診療における不満なり素直な気持ちを表現することから 信頼関係のある良い診療・診断がスタートするのではないかと思う。

高齢者はまだまだ「お医者様さま」と言って腫れものに触るように接する人が多いかもしれないが、自分の言いたいことをきちんと表現することが必要だ。そうすることによって 自分の症状をきちんと伝えることができ ドクターに理解してもらうことができると思う。そして的確な診断をして的確な薬が処方され効かない薬を処方されることがなくなれば 健康保険の無駄遣いも少しは軽減されるのではないだろうか。