学術集会に行ってきました

2008年9月16日火曜日

今回の会長である教授のお誘いがあり 日本家族看護学会に行ってきた。半年間待ちに待ったものだった。2日間に渡るもので 内容の濃いものであった。自分のしてきた介護がどういうものであったのかを客観的に見ることも出来た。 それはどうしても口に出して言うことが出来ず 自分のこころのなかに収めてあったものが的確に整理され発表されていたから

家族看護が必要であるにもかかわらず 家族看護学という学問が存在していないことの問題点や研究をいかに学問にしていくかを話し合うという裏の部分も知ることが出来た。

看護を受けることが終わった(父の逝った)数か月後に 介護でお金をもらうヘルパーの勉強をした。これは介護を受ける家族の反対側を知りたかったから。私はジャンルを問わず 両面から見ることは視野を狭めないために不可欠と思い いろいろなことに関して反対側からも見るようにしている。その一貫のことだ。
しかし今回の学会は 反対側だけではなく自分のしたいことに直接つながる部分が非常に多く盛り込まれ とても勉強になった。今回の学会が 世の中に貢献するという私のしたいことの第一歩に繋がればうれしい限りだ。

こころのケアをしてくれる 恩師のドクター

2008年9月15日月曜日

父の病気を見つけてくれた恩師であるドクターに2年半ぶりに会ってきた。かかっていた病院からはるかに遠い病院への転勤だったので最期まで診てもらうことが出来なかった。しかし後輩の神経内科医が我が家の隣駅の病院で診察をしていたのでそこの病院で最期まで診てもらうことになったという経緯がある。先輩の患者さんということでとても大事にしてもらえこと。その後の病気の経緯。そして 父の介護をして思ったことやそこでの経験や世の中に貢献したい自分の気持を話してきた。

そのドクターは元々リベラルな考えを持っている方で 難病患者の往診をもしていることもあり 人間味にあふれている。私のしたいことを十分に聴いてくれた上で ドクター側ではなく ナース側で活動すると良いこと。その他 難病患者は個性が強くなっているので 自分に出来るかどうかを試しで活動した上でライフワークにした方が良いことなどいろいろとアドバイスをしてくれた。

以前の病院にカルテはすべて置いてきているにもかかわらず 父の病状・経過を驚くほどよく覚えてくれていた。パーキンソンであったことは間違いないが厄介な病状でどうにもコントロールできなかったこと。坂道を転げ落ち始めたらそのスピードを抑えられないほど病状が悪化したこと。
父の病状を振り返りながら 私が一人で薬を取りに行ったときに話した私の心情もよく覚えてくれていて そして本当に大変な病状だったことをドクターが一緒に振り返ってくれた。2年半以上前のことであったにもかからわらず 昨日のことのように覚えてくださっていたのには驚いた。
あっという間の1時間であった。朝9時に出発して6時に帰宅と1日がかりになったが会いに行って本当に良かった。父と同様 私もこのドクターを信頼していて なぜか私も言いたいことをつい言ってしまう。
特別な専門的な技術を持っていて ドクター対象の講演をあちらこちらで行っている方なのだが 偉そうなそぶりを一切見せたことがないお人柄のかもし出すものなのだろうか。

通常転勤というとランクアップを狙うところだが 明らかにランクダウンである。しかし自分の目標に向かってのランクダウン。欲に目のくらんだ人間・ドクターの多い中 お人柄が前に出たドクターが世の中にたくさん輩出されることを祈るばかりだ。
最後に 今後も連絡がとれるようお願いをして帰宅した。

介護の日

2008年9月5日金曜日

1ヶ月ほど前に 介護の日(11月11日)が誕生した。介護について何に焦点を絞るのか。介護従事者の賃金を上げるとか勤務時間を検討するとか?家庭で介護をしている人がどのような生活を送り、どのような精神状態で日々過ごしているのかスポットライトを当ててほしい。

ところで 同じ職場に「16年間介護をしてきた」と自慢をしている女性がいる。夫の転勤先について行き 転勤先で大学院に通ったというとても勤勉な女性だ。介護をしながら大学院に行ったとは かなりの努力家だと思ったが、よくよく話を聴いてみると 転勤先には親を連れていかず 東京に残していったとのこと。おまけに「ボケがひどいので老人ホームに入れている」という発言もあり、そういうのも介護と言うのかとびっくりした。

冷静に考えてみれば 重い介護を16年間もできるわけがない。
親の介護をしたことがなく親とも同居していない人に限って
「何年間介護をしていたの?」と質問してくる。
脳疾患で急に半身不随になれば いつからとはっきり言えるが難病の場合 かかりだした日がわからない。徐々に体力が落ちていく病気を介護していたわけでそんなに何年かだとはっきり言えるようなものでもない。

兄弟3人で看た16年間の介護 に比べれば私はとても短いかもしれないが 介護者が一人だった私の介護内容はとても内容の濃いものなのではないかと察する。

恩師に会える

2008年9月2日火曜日

父の難病をみつけてくれたドクターと連絡がついたことは以前も書いたがいよいよ明後日に会うことになった。先日電話をして2年半ぶりにドクターの声を聞いて とても安心した。

父の信頼していたドクターで 一時は私とそのドクターは診療において気持の擦れ違いがあったが ある時その気持ちをぶつけてみたところ お互いの信頼における気持ちが近づいたことを記憶している。ドクターと言えども一人の人間。診療における不満なり素直な気持ちを表現することから 信頼関係のある良い診療・診断がスタートするのではないかと思う。

高齢者はまだまだ「お医者様さま」と言って腫れものに触るように接する人が多いかもしれないが、自分の言いたいことをきちんと表現することが必要だ。そうすることによって 自分の症状をきちんと伝えることができ ドクターに理解してもらうことができると思う。そして的確な診断をして的確な薬が処方され効かない薬を処方されることがなくなれば 健康保険の無駄遣いも少しは軽減されるのではないだろうか。

介護ヘルパーの質を決めるものとは

2008年8月25日月曜日

今 いろいろなジャンルで何々アドバイザーというものが登場しているが 介護の世界ではベースに資格や研修を受講することが必要なものがほとんどだと思う。これも看護関連ということで医療がベースとなっている世界だからなのか。自宅で介護をしていた経験。それもどのようなレベルの人を介護していたのかも一つの履歴としてヘルパーの格を決めるのに活用するのも良い方法ではないだろうか。私のように難病で身体障害者1級の歩けない人を介護していたという履歴は 何年間ヘルパーをしていても家事援助だけで入っている人とは経験の質も量も違うと思う。イヤー本当に大変だった。

ところで一昨日 父の夢をみた。夢ではどこかの病院か施設に入院をしているようで 体の具合は悪いが 精神的な面は正常に近く私とほぼまともに話が出来た。私はこの夢の中では父に詫びるつもりもあり、優しく接していた。そんな夢をみたら 父の存在を抹殺するようで怖かった父の荷物の片付けであるが、少し片付けようかという気持ちになれた。時間がこころの薬だと実感した。

介護の世界はいろいろと難しい

2008年8月22日金曜日

介護の世界は何かといろいろと難しいですね。せめて我々利用者にはわかりやすいことばにしてもらいたいものです。 また 介護の資格をとる時にも言葉が難しく 移乗とか嚥下とか咀嚼とか 難しい言葉・漢字の羅列で一度聴いただけでスッと入ってくる言葉ではありません。

自論では 看護の世界と通ずるものがあるとしている介護関連の方の気負いというか自負というか、そういうもののあらわれなのではないかと思うのです。 人に優しくする仕事なら わかりやすくするのも優しさだと思うのです。どうでしょう。

今の時代は いろいろな経験から自分で肩書きをつけられてそこから仕事が生まれる場合も多いと思うのですが、この世界ではそれはあり得ない。まず資格をとり、そこでの経験年数からまた次のステップの資格・仕事につながります。それでいて3kなのだから、ますます底辺が広がらないのは当然だと思います。生活習慣・文化の違う外国人の介護士さんに昭和時代のことを学んでもらって どれだけお年寄りの方と話が通じるのか。疑問ですね。やむを得ないということもあるのでしょうが。

オトコの介護

2008年8月13日水曜日

日経新聞(2008.08.03)のsunday nikkeiくらし安心「いざ!オトコの介護」からの抜粋。
「超高齢社会を迎え、男性も親や妻の介護を担う可能性が高まっている。今や介護をする人のうち男性の割合は約3割という。仕事と「の両立からなれない家事の苦労や地域との付き合い方まで「男性ならでは」の難しさもある」とある。

「男性はまず自立した生活を送らないと、いざという時に介護どころではない」
以前自治体で行っている料理教室に行ったことがある。包丁も握ったことのない男性なのだろう。何を勘違いしたのか自分が頑張らなくてはと思ったようで、女性の中に混じってハリキッテいる。ところが何をさせても常識外の行動で、からまわりばかりで、どうも皆の中に溶け込めない。例えば、包丁を別室にある包丁を取りに行く時には「人に刺さると危ないから」と言って、料理実習中の受講者の込み合う中を頭の上に振りかざして「危ないですよー、通してくださーい」と大声を上げながら突進してくる。布巾か何かに包んで自分の懐のあたりに持っている方が よほど安全だと思うのだが。すべてがカラマワリ。ろくに包丁も使えなければお皿も洗えない。とてもキケンで落ち着かない、受講者が受講者をお世話をしなければならない料理教室を受けた覚えがある。料理教室に行く前に 包丁は頭の上に振りかざしたら危ないということぐらい学んでから料理教室に来るべきだろう。また、普段調理をしている女性の中に何も出来ない自分が入っても、その場で学ぶ以前のことがたくさんあるわけで、段階を踏んで来るべきであったであろう。
この事例に限らずこのようなことはよくあるわけで、自分が自立していないことを自覚していないことオトコの人いかに多いことか。

そして「オトコの介護の傾向」では①仕事と介護の両立が難しい。②他人に頼まず、すべて自分の手でしたがる。③仕事のペースできっちり計画を立てたがる。④他人には弱音を吐けない。である。
①の仕事と介護の両立は当然難しい。専業主婦で家にいて介護をするのも大変なのだから。④は男性に限らず女性でも弱音を吐くには相手を選ぶので性差はないと思う。
問題は2つ。まず②の他人に頼まず、すべてを自分でしたがること。男という生き物はイイカッコをしたいところがある。これは女でもそうだとは思うが、自分でさえ十分に自立していないのに、他人の世話をしようというのだから達が悪い。
女はセンタクで成長している。という話を聞いたことがある。洗濯することで仕事の仕方、段取りを身につけることもあるかと思うが、今私が言いたいのは選択することで、選ぶことで決断するということである。例えば、社会人になり仕事に就いて結婚する時には、続けるか辞めるか。またどちらの姓をとるかを選択して決断する。子どもを宿した時に、選択して決断して産む(産まない)。子どもが生まれたら、子どもが泣いたら今何をすべきか、オムツなのかミルクなのか、具合が悪いのか。選択肢を選択して決断してオムツを交換する。熱を出したら、どのぐらいの熱になったらどこの医者に連れて行きどうするかも選択して決断するのである。女はこのようにして、日々選択と決断を自己責任のもとで行ってトレーニングをしている。

③の仕事のペースできっちり計画をたてたがる。これも子育てをすると自然に育まれることであるが、人間相手のことで自分の立てたスケジュールで相手を動かそう、何かをさせようということはほとんど不可能。女はそこで待つということを学ぶ。(だから、もし私が自宅療養でリハビリが必要になっても、夫には介護をしてもらいたくないと今から宣言している次第である)

結局、女が子育てをするように 日々男を自立するよう若いうちから育てていくことが不可欠であろう。まずは、週末に買い物につきあってもらい、ものの値段を知ってもらうことから始めるのはどうだろうか。