神妙な顔をして義母が私に聴いてほしいことがあると言う。
それは腎臓が機能していない糖尿病の義母が 先日精密検査をしたらしい。CTを撮ったら ポリープがたくさんあったらしい。それが今後わるさをするのかどうかは様子をみる必要があるらしい。そこでもう一つ不具合だみつかったという。お腹の中の動脈瘤がみつかったらしい。見つかった時は4ミリ。先日また検査をしたら4.1ミリになっていたという。これが5ミリになると危ないとのことで、血圧を上げないことが一番の予防法らしい。「腎臓の機能しない人には手術は出来ないと言われ、ショックだ。私は爆弾を抱えている。いつどうなるかわからない。」と不安を訴えてきた。
血圧の薬は効いているのかと尋ねると 全く効かないという。動脈瘤のことを血圧の方のドクターにちゃんと伝えてあるのかと尋ねると 言っていないという。血圧のドクターと動脈瘤のドクターは別の病院で それぞれの病態の説明はあるが 協働して何かの手立てをうつということは当然ながらしてもらえていない。
私が 病院を整理したらどうか?一緒に病院に行きましょうか?と提案したら「いい(不要の意)」とキッパリと言う。効かない薬を飲み 何も行動しないで それでいて長生きしたいと矛盾なことを切々と私に訴える。自分で選んだ方法なのだから仕方が無いけれども もしものことがあったらいかなる形でも最終的に面倒を看るのは私たちなのですが。。。
結局自己責任で好きなようにしてもらった方が 81歳の義母には幸せなことなのだろう。病院を変えて何かがあったら 私のせいいなって夫や夫の兄弟からつるしあげられても困るので ここは他人の嫁は静かにしておくことに決めた。
体の内部を切らずに検査でわかるようになり 早めの治療が受けられるようになった。しかし高齢者にとっては義母のように検査費を徴収され不安材料をつきつけられるツールでしかない。治療出来ないことがわかっている人に検査をして病気を探し出して何をすれば良いのか。検査をして欲しいという欲求にはこたえられるが満足にはつながらない。それが今の医療レベル。病院の収入源と保険の無駄遣いであり 患者にとっての価値がいかほどあるのか疑問だ。
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