2年ほど前に 仕事を始めてみたが こころが安定していないことが災いして 書類の短い文章を読んでも頭に入ってこない、理解できない状態で せっかく就いた仕事を辞めざるを得なかった。
書類を見ると まず焦点が定まらず キョロキョロと動き 何度も同じところを読んだり 字がぼやけて見えたり。パソコンの中の文字も 家なら読めるのに仕事場に行くと読めない状態だった。
ここ2週間ほど前から 仕事を始めた。本格的に始動していない仕事なので これから忙しくなったら私の体調もどうなるかわからないが とりあえず今のところ 書類の文字も読めるしパソコンの文字も読める。
3カ月ぐらい前から 体を動かすことを積極的に始めてから睡眠がよくとれ、体調もとても良くなり メンタルクリニックで貰っている睡眠薬も 日中の薬も飲まなくて済むようになった。ドクターの「体を積極的に動かして」の言葉に背中を押してもらい 今はメンタルクリニックとも少し距離が置けるようになった。
客観的に父の病状を懐かしく思えるということ自体 復帰してきている証拠だと思う。
薬を飲むことを嫌って飲まないわけではない。しかしメンタルクリニック自体独特の雰囲気で クリニックに通院すること自体 今の私には少々苦痛になってきた。
更年期も心配だが 様子をみながら 今後の対処を考えたいと思えるようになった。
あれだけ 老人の姿・映像を見ると介護のことを思い出して 具合が悪くなっていたのに。 先日 老人施設での老人が食事をする様子を見て 父と同じ食べ方をしていると思い 父を見ているようで とても懐かしくしげしげとその映像を見た。
後半の父は背筋が横に弱り斜めに傾き 指や手が動きにくくなり 自分の口にフォークを持って行きにくくなり 口の方が食べ物を迎えに行くような状態だった。その様子を見るのがなんとも辛く 情けないと言うのか妙な感情を持ち 食事風景を見るのは嫌だった私が その様子を懐かしく思い 見入っているのだから不思議なものだ。 時が解決したのか。
だから 介護が終わった人は 「今は辛いけれども 一時のことだから」と慰めの言葉をかけるのだろう。
そんなことを言っても 大変な時は何を言われても大変なわけで あまり役に立たないけれど 「今は本当に大変ですよね」 とひとこと言ってくれたら かなり救われるんだけれども。
今更ながら そういう言葉をかけてくれる ケアマネージャーだったら どれだけこころが楽だったかとも思う。父の様子は懐かしいと思えるようになっても 介護にまつわる周辺の人の心無い言葉で傷ついたこころは いまだ癒えていない。
清水由紀子さんがお父様の墓前で自殺されてからしばらく経ちますが 彼女の置かれていた境遇から推測して 彼女の気持ちがわかるような気がします。
介護は抱え込まないでと言われても 抱え込まなければ介護は出来ません。
満足した介護を受けてもらうには それぐらいしなければ出来ません。
命を絶つまで追い込ませてしまうのは良いこととは言えませんが
テレビに出ると「母に○○させたい」という言葉を必ず1回は発言されるほどお母様思いの由紀子ちゃん。私も 同じような気持ちを持っていたこともあり その気持ちが本当によくわかります。
ある意味、彼女にとっては本望で幸せだったのではないかとも思うのです。
色々なことがわからなくなったお母様のようですが そんなお母様を直視するのは本当につらかったと思います。
出来るだけのことはして差し上げた挙句の彼女の行動だと思われ 「お疲れさまでした」と声をかけて差し上げ 今までのことを親孝行を褒めて差し上げたいと思います。
ゆっくり休んでくださいね。由紀子ちゃん。(*^_^*)
介護を頑張りすぎた結果 お年をめされた方を見るのも苦しかった私ですが 昨日変化がありました。
ビルのドアですれ違った老人に 気持良くドアを開けて差し上げている私がいたのです。
疲れ果てた自分を払しょくするために始めたダンスの発表会の準備に自分の時間を全て注いだことが良かったのかもしれません。このような機会は後にも先にも今回だけだと思い かなりのエネルギーを費やしました。
親の面倒をみたり介護をしているときはそこまで自分に時間を費やすということは出来なかったので 大学以来30年ぶりぐらいにものごとに集中しました。自分のために使う時間というのはこんなに至福の時なのかと感動しました。もうしばらく自分のために時間を使って 介護というのものを当事者の立場だけではなく少し離れたところから客観的に見てみるのも こころの整理には良いのかもしれないと思う今日この頃です。