メンタルクリニック卒業か?

2009年5月31日日曜日

2年ほど前に 仕事を始めてみたが こころが安定していないことが災いして 書類の短い文章を読んでも頭に入ってこない、理解できない状態で せっかく就いた仕事を辞めざるを得なかった。

書類を見ると まず焦点が定まらず キョロキョロと動き 何度も同じところを読んだり 字がぼやけて見えたり。パソコンの中の文字も 家なら読めるのに仕事場に行くと読めない状態だった。

ここ2週間ほど前から 仕事を始めた。本格的に始動していない仕事なので これから忙しくなったら私の体調もどうなるかわからないが とりあえず今のところ 書類の文字も読めるしパソコンの文字も読める。

3カ月ぐらい前から 体を動かすことを積極的に始めてから睡眠がよくとれ、体調もとても良くなり メンタルクリニックで貰っている睡眠薬も 日中の薬も飲まなくて済むようになった。ドクターの「体を積極的に動かして」の言葉に背中を押してもらい 今はメンタルクリニックとも少し距離が置けるようになった。

客観的に父の病状を懐かしく思えるということ自体 復帰してきている証拠だと思う。
薬を飲むことを嫌って飲まないわけではない。しかしメンタルクリニック自体独特の雰囲気で クリニックに通院すること自体 今の私には少々苦痛になってきた。

更年期も心配だが 様子をみながら 今後の対処を考えたいと思えるようになった。  

自分のこころの変化に 客観的に驚いた

2009年5月30日土曜日

あれだけ 老人の姿・映像を見ると介護のことを思い出して 具合が悪くなっていたのに。 先日 老人施設での老人が食事をする様子を見て 父と同じ食べ方をしていると思い 父を見ているようで とても懐かしくしげしげとその映像を見た。

後半の父は背筋が横に弱り斜めに傾き 指や手が動きにくくなり 自分の口にフォークを持って行きにくくなり 口の方が食べ物を迎えに行くような状態だった。その様子を見るのがなんとも辛く 情けないと言うのか妙な感情を持ち 食事風景を見るのは嫌だった私が その様子を懐かしく思い 見入っているのだから不思議なものだ。 
時が解決したのか。 

だから 介護が終わった人は 「今は辛いけれども 一時のことだから」と慰めの言葉をかけるのだろう。
そんなことを言っても 大変な時は何を言われても大変なわけで あまり役に立たないけれど 「今は本当に大変ですよね」 とひとこと言ってくれたら かなり救われるんだけれども。

今更ながら そういう言葉をかけてくれる ケアマネージャーだったら どれだけこころが楽だったかとも思う。父の様子は懐かしいと思えるようになっても 介護にまつわる周辺の人の心無い言葉で傷ついたこころは いまだ癒えていない。

タレント・清水 由紀子さまへ

2009年5月15日金曜日

清水由紀子さんがお父様の墓前で自殺されてからしばらく経ちますが 彼女の置かれていた境遇から推測して 彼女の気持ちがわかるような気がします。

介護は抱え込まないでと言われても 抱え込まなければ介護は出来ません。
満足した介護を受けてもらうには それぐらいしなければ出来ません。
命を絶つまで追い込ませてしまうのは良いこととは言えませんが
テレビに出ると「母に○○させたい」という言葉を必ず1回は発言されるほどお母様思いの由紀子ちゃん。私も 同じような気持ちを持っていたこともあり その気持ちが本当によくわかります。
 
ある意味、彼女にとっては本望で幸せだったのではないかとも思うのです。
色々なことがわからなくなったお母様のようですが そんなお母様を直視するのは本当につらかったと思います。
出来るだけのことはして差し上げた挙句の彼女の行動だと思われ 「お疲れさまでした」と声をかけて差し上げ 今までのことを親孝行を褒めて差し上げたいと思います。

ゆっくり休んでくださいね。由紀子ちゃん。(*^_^*)

こころ リフレッシュ

2009年5月14日木曜日

介護を頑張りすぎた結果 お年をめされた方を見るのも苦しかった私ですが 昨日変化がありました。
ビルのドアですれ違った老人に 気持良くドアを開けて差し上げている私がいたのです。

疲れ果てた自分を払しょくするために始めたダンスの発表会の準備に自分の時間を全て注いだことが良かったのかもしれません。このような機会は後にも先にも今回だけだと思い かなりのエネルギーを費やしました。

親の面倒をみたり介護をしているときはそこまで自分に時間を費やすということは出来なかったので 大学以来30年ぶりぐらいにものごとに集中しました。自分のために使う時間というのはこんなに至福の時なのかと感動しました。もうしばらく自分のために時間を使って 介護というのものを当事者の立場だけではなく少し離れたところから客観的に見てみるのも こころの整理には良いのかもしれないと思う今日この頃です。

冬は腹巻とスパッツがおすすめです

2009年3月4日水曜日

腹巻スパッツは冬のマストアイテムだ。本当に温かい。私は何年も愛用している。考えてみれば 晩年寒がっていた父に腹巻をさせていなかった。腹巻をしてあげればもっと温かかったのにと思う。

近くの衣料品店に行ったら 寅さん型の二重になった介護用腹巻が売っていた。 腹巻は一般的に足元からはくように身につける。(あるいは頭の方からかぶる人はいる?) 父は体が曲がってきていたので腹巻をするのは容易なことではなかったな・・・。せっかく思いついたのだから身につけやすい腹巻を考案してみようかしら。

認認介護・忍忍介護?

2009年3月3日火曜日

認知症の人同士が介護することを認認介護というらしい。いたましい話だが、どこでおきてもおかしくない話だ。ご夫婦で認知症があるため、お互いにストレスがたまり一気に進む。また進めば進むほどSOSが出せないために益々進んでしまうようだ。認知症が介護保険に進むのは、かなり進んでいった状態で見放された状態だ。デイサービス、地域包括支援センター、ケアマネージャーが関わっていても、単独での関わりでは見落としをおこす。協働、連携のケアが本当に必要だ。

子どもも夫婦でいるから大丈夫だろうということで、ことの重大性に気がつかない傾向にある。実際にはお互いに認知症であるがために、具合が悪くてもどこに連絡することも出来ない。夫の両親は健在だが、義母の方がもの忘れについて少し不安な部分がある。しかし二人揃っているので何とか生活出来ている状況のように私は感じる。夫にその旨を言っても「大丈夫!」のひとこと。実の子どもが大丈夫だというのに、私が下手に入り込んで妄想?が始まり「何がなくなった、何を取られた」と言われては本末転倒。嫁の介入の塩梅が難しい。

夫婦での認認介護の周囲からの協働、連携のケアが必要だが 介護は 介護される側も介護する側も忍耐が必要で 忍忍介護で ここにも協働、連携のケアを施してもらいたい。

行き着くところはヘルパー?

2009年2月27日金曜日

先日まで働いていた会社の同僚4人(全員がつい最近辞めた)と就職先について2時間ほど議論をした。

50歳を過ぎて就職活動をしても 15年以上仕事のブランクがあるということで落とされる。
一人はお子さんの体調がすぐれない期間があり パートを何件か繋げて10年以上働いているが働き口が無いという。
私だけかと思っていたら 同じ年頃の友人も皆落とされっぱなしとのことだった。
もう一人は教員免許もあり教員をしていたこともあり 図書館司書 学芸員、何の機会だかわからないが機械の一人は運転免許も持っている。おまけに大学院にまでいって考古学の勉強もして研究室で働いていたこともある。そんな優秀な彼女でさえ 何回履歴書を出しても 何回面談に行っても落とされる。面談にまでたどりつかないこともしばしばで 我々残り3人と同じ状況。35歳ぐらいのときであれば、これだけ資格があればどこでも就職できたのにとぼやいていた。
「年齢」と「継続した仕事がない」ということがネックだという結論になった。「今まで培った人間関係、ネットワークでその人たちの能力をコーディネイトして起業する」というのも一つの手だという話にもなった。

一方求人の多いのは介護職と 皆口をそろえて言う。そして続けて出てくる言葉は「ヘルパー関係だけはやりたくない」と。 偶然私たちはヘルパーへの就職を望まなかったわけだが、働き口が無いからヘルパー介護職につこうという人も多いと思われる。先日の「派遣が切られた人の受け入れ口」という話も同様だが、もっともっと志を高く持って介護施設に就職して丁寧な質の高い介護をしてもらいたい。それはショートで親を預けた経験。ヘルパーの資格のために実習に入った経験からだ。それには社会的に認められた仕事となるように。「皆が嫌がることをよくするわね」という尊敬の念ではなく、他人の命を預かる尊厳を守る素晴らしい仕事についていると褒められるような地位に格上げして 医者と同様 命を預かる仕事なのだからのように高給にできないものか。 厚労省の舛添さんに是非 介護職の社会的地位の向上のためのアクションをお願いしたい。