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[介護の一工夫] 2周年 

2010年1月20日水曜日

介護で得た [介護の一工夫]  の情報を発信し介護家族の生活を支えたいという思いから始めた当サイトも 早いもので今日で丸2年経つ。

その間には 介護家族のこころのケア や 家族の介護を助けることで家族の生活を守ることの必要性を訴えてきたつもりだ。しかし私の力不足(私だけの力ではどうにもならないのだが)もあり、介護家族への対応は2年前と全く変わっていないのは残念なことだ。これからも介護について また介護家族の実態を世の中に知ってもらうために 発信していきたい。

今年は寅年。寅を射る 寅射(トライ) の意気込みで綴っていきます。
3周年に向けて 応援お願いいたします。

がんばらない介護家族  しゃべり場 その3

2009年12月30日水曜日

介護家族 要介護者の介護 と社会の荒波(再就職先が無いし、短時間だけ預けるデイサービスを利用しているだけでも隣近所には冷たい目で見られる)と闘って本当に苦しい状態にいる。介護家族を助ける具体的なサービスも必要だし 心の中を聴いてもらえる場が必要だ。行政は介護だけではなく介護家族に対してもテコイレが必要だし、それらをボランティアで責任の無い形で賄おうとするのではなく 利用する度にお金を払ってでも 頼れる場所が欲しいと願っている人は多いと思う。介護中あるいは介護卒業生の貴重な体験を活かした介護家族へのケアを行政が行うことが今とても必要とされている。ケアマネージャーは要介護者のコーディネイタ。どちらかというと施設側の仕事で介護家族の立場に立ったケアで要介護者についてまでは出来ていないのが現状。介護家族の悲鳴に耳を傾ける場。介護家族のしゃべり場が求められている。


私の経験からも 自分の今の気持ちを言葉に出し共感してもらえるだけで 介護のストレスからかなり解放される。また明日から何とか介護を続けていこうと思えるようになる。それは知り合いの 介護経験者・介護中の知り合いも同様のことを言っているから 多くの人が同じ思いをしているはず。

昨今働く女性のワークライフバランスが叫ばれているが 行政は介護家族ワークライフバランスにも目をむけてもらいたい。


また介護家族の負担軽減に目を向けることで 介護施設に預けることが少なくなり行政の負担は軽減される。そして介護家族の経験は在宅介護者へのフォローという重要な役割の仕事が創出されることになり 介護の終わった後に路頭に迷う人も少なくなると思う。

がんばらない介護家族 しゃべり場 その2

2009年12月29日火曜日

家族構成の都合でむを得ず一人で 親の介護をしなければならない人が多いと思う。大学を卒業してからずっと働き続けてキャリアを積んできたアラフォー・アラフィフつまり40歳少し前から50歳少し過ぎの年代の人は男女雇用均等法が始まり総合職の先駆者として突き進んできた女性たちの年代。一人っ子が多くや兄弟がいても2人程度。


そのような年代の人間が 介護をしながらの仕事が難しくなり 両立をしてもたもののどちらも中途半端で体力も続かず 仕事を辞めて介護に専念。しかし決断をした時点でかなり重篤化していて坂道を転げ落ちるがごとく要介護度が上がり介護しきれなり施設に入れるようになる。また在宅で専念して看ていたけれども 看切れなくなって施設にようやく入れたので資金稼ぎに働こうと思っている人も多いはずだ。(安いところは何年ごしの順番待ち。比較的入りやすいところは最低でも1か月に20万円はかかる)

介護というものは様々なものにお金がかかる。 肌着一つでも買って着せて見たら袖繰りが工夫されていても今の体の動きには脱ぎ着がしにくいとか 大きめが良いかと思いパンツを購入したら 足回りは良いけれどもウェストの部分がブカブカで落ちてしまうとか。そのようなことで買い替えが多く無駄なものをたくさん買わなければならなくなる。介護を要する人の身の回りの物は試着なしで購入しなければならないので 本当に出費が多く仕事を辞めない方が良かったと後悔する人も多いだろう。 

一度仕事を辞めてしまうと 40~50歳前後で再就職は難しい。さて仕事につこうと思うとブランクと年齢が足かせになる。これが独身の一人っ子男性が同様の状況の場合 女性とは異なり性差による介護というものへの負担も異なるであろう。そして親が逝った後にはどうやって生きていけばよいのか。妻がいれば妻の収入で何とか生活が出来るかもしれないが。

がんばらない介護家族 しゃべり場 その1

2009年12月28日月曜日

お母様がパーキンソン病で 介護にはほとほと手を焼いている人がいる。もともとお母様とは性格が合わず 何十年も話をしてこなかったという。そこへきて介護。だからといって そりが合うわけでもないし会話も成り立たない状態で介護がとても大変だという話をしてくれた。

彼女は介護しきれなくなり お母様には現在施設に入ってもらっているという。デイサービスの車が自宅の前に来るだけでも 近所の人から介護放棄 とみられる傾向があると彼女は言う。私も同じような体験をしている。結局、近所の人にはお母様は入院中ということにして施設に入ってもらっているらしい。周囲の目はおそろしい。
よく 家族には歴史があると言われているが、自分が体験するまでその意味がわからなかった。実際に自分が介護してみると 歴史という意味が嫌なほど実感し いろいろな記憶がよみがえってくる。

要介護者を病院に連れ行くことは大きなイベントで 介護家族はその1日は 順番取りや送迎車の手配・送迎で疲れ果てる。これは在宅介護でも施設に入所していてもこの大変さは変わりは無い。
病院に連れ行った翌日は 疲れ果てて動けなくなっていたことを思い出す。病院の順番取りをしてもらえる代わりの人がいれば。あるいは要介護者の場合は順番をとらなくても診てもらえるシステムがあればと思う。

寝言

2009年6月21日日曜日

先日 新聞に ストレスや疲労が引き金で 寝言を言うようになるという記事があった。
大人になって常習的にはっきり寝言を言うようになった場合は 強いストレスにさらされている可能性があるという。

そういえば 私の父は寝言がすごかった。特に 高齢になってからが寝言が頻繁になった。
大声で怒鳴り、隣の部屋に寝ていて 目が覚めるほど大声だった。
この症状は健康な高齢者の0.5%に見られるという。 この背後にはパーキンソンや認知症などの神経疾患が隠れていることもあるようだ。 そういえば、身体が動きにくくなってから 夜中によく大声を出していた。

今になれば 「そういうことだったのか」 ということが 少しずつ出てくる今日この頃。
父のことを思い出すのも、同じ年ごろの男性を見るのも嫌だった時期もあったが
こういった新聞記事も 父を思い出し こころの傷を癒してくれるものになった。

自死

2009年6月6日土曜日

やっと 父の介護・死にまつわることに こころの整理がついたのだが 先週、家族ぐるみで付き合っている友達が亡くなった。自死である。

2年ぐらい前から更年期のような兆候があった。そこにこのところの不況で 親戚のやっている会社が廃業をしたため そこで働いていた友人は失業してしまった。50歳代後半の男性である。 ハローワークに行っても就職口の無い状態がずっと続いていた。

自死の家族のケアは難しく 急に家族を亡くしたことや理由が不明解なことが家族のこころを悩ませると言う。彼の妻もかなり混乱していた。せめての救いは、システム手帳に緻密に書かれた遺書である。
家族は遺書に書かれたとおりに 生きていくことになる。
我々のことを一番に思ってくれていた友人。今後もその家族を見守っていこうと思っている。  

メンタルクリニック卒業か?

2009年5月31日日曜日

2年ほど前に 仕事を始めてみたが こころが安定していないことが災いして 書類の短い文章を読んでも頭に入ってこない、理解できない状態で せっかく就いた仕事を辞めざるを得なかった。

書類を見ると まず焦点が定まらず キョロキョロと動き 何度も同じところを読んだり 字がぼやけて見えたり。パソコンの中の文字も 家なら読めるのに仕事場に行くと読めない状態だった。

ここ2週間ほど前から 仕事を始めた。本格的に始動していない仕事なので これから忙しくなったら私の体調もどうなるかわからないが とりあえず今のところ 書類の文字も読めるしパソコンの文字も読める。

3カ月ぐらい前から 体を動かすことを積極的に始めてから睡眠がよくとれ、体調もとても良くなり メンタルクリニックで貰っている睡眠薬も 日中の薬も飲まなくて済むようになった。ドクターの「体を積極的に動かして」の言葉に背中を押してもらい 今はメンタルクリニックとも少し距離が置けるようになった。

客観的に父の病状を懐かしく思えるということ自体 復帰してきている証拠だと思う。
薬を飲むことを嫌って飲まないわけではない。しかしメンタルクリニック自体独特の雰囲気で クリニックに通院すること自体 今の私には少々苦痛になってきた。

更年期も心配だが 様子をみながら 今後の対処を考えたいと思えるようになった。  

自分のこころの変化に 客観的に驚いた

2009年5月30日土曜日

あれだけ 老人の姿・映像を見ると介護のことを思い出して 具合が悪くなっていたのに。 先日 老人施設での老人が食事をする様子を見て 父と同じ食べ方をしていると思い 父を見ているようで とても懐かしくしげしげとその映像を見た。

後半の父は背筋が横に弱り斜めに傾き 指や手が動きにくくなり 自分の口にフォークを持って行きにくくなり 口の方が食べ物を迎えに行くような状態だった。その様子を見るのがなんとも辛く 情けないと言うのか妙な感情を持ち 食事風景を見るのは嫌だった私が その様子を懐かしく思い 見入っているのだから不思議なものだ。 
時が解決したのか。 

だから 介護が終わった人は 「今は辛いけれども 一時のことだから」と慰めの言葉をかけるのだろう。
そんなことを言っても 大変な時は何を言われても大変なわけで あまり役に立たないけれど 「今は本当に大変ですよね」 とひとこと言ってくれたら かなり救われるんだけれども。

今更ながら そういう言葉をかけてくれる ケアマネージャーだったら どれだけこころが楽だったかとも思う。父の様子は懐かしいと思えるようになっても 介護にまつわる周辺の人の心無い言葉で傷ついたこころは いまだ癒えていない。

タレント・清水 由紀子さまへ

2009年5月15日金曜日

清水由紀子さんがお父様の墓前で自殺されてからしばらく経ちますが 彼女の置かれていた境遇から推測して 彼女の気持ちがわかるような気がします。

介護は抱え込まないでと言われても 抱え込まなければ介護は出来ません。
満足した介護を受けてもらうには それぐらいしなければ出来ません。
命を絶つまで追い込ませてしまうのは良いこととは言えませんが
テレビに出ると「母に○○させたい」という言葉を必ず1回は発言されるほどお母様思いの由紀子ちゃん。私も 同じような気持ちを持っていたこともあり その気持ちが本当によくわかります。
 
ある意味、彼女にとっては本望で幸せだったのではないかとも思うのです。
色々なことがわからなくなったお母様のようですが そんなお母様を直視するのは本当につらかったと思います。
出来るだけのことはして差し上げた挙句の彼女の行動だと思われ 「お疲れさまでした」と声をかけて差し上げ 今までのことを親孝行を褒めて差し上げたいと思います。

ゆっくり休んでくださいね。由紀子ちゃん。(*^_^*)

こころ リフレッシュ

2009年5月14日木曜日

介護を頑張りすぎた結果 お年をめされた方を見るのも苦しかった私ですが 昨日変化がありました。
ビルのドアですれ違った老人に 気持良くドアを開けて差し上げている私がいたのです。

疲れ果てた自分を払しょくするために始めたダンスの発表会の準備に自分の時間を全て注いだことが良かったのかもしれません。このような機会は後にも先にも今回だけだと思い かなりのエネルギーを費やしました。

親の面倒をみたり介護をしているときはそこまで自分に時間を費やすということは出来なかったので 大学以来30年ぶりぐらいにものごとに集中しました。自分のために使う時間というのはこんなに至福の時なのかと感動しました。もうしばらく自分のために時間を使って 介護というのものを当事者の立場だけではなく少し離れたところから客観的に見てみるのも こころの整理には良いのかもしれないと思う今日この頃です。

認認介護・忍忍介護?

2009年3月3日火曜日

認知症の人同士が介護することを認認介護というらしい。いたましい話だが、どこでおきてもおかしくない話だ。ご夫婦で認知症があるため、お互いにストレスがたまり一気に進む。また進めば進むほどSOSが出せないために益々進んでしまうようだ。認知症が介護保険に進むのは、かなり進んでいった状態で見放された状態だ。デイサービス、地域包括支援センター、ケアマネージャーが関わっていても、単独での関わりでは見落としをおこす。協働、連携のケアが本当に必要だ。

子どもも夫婦でいるから大丈夫だろうということで、ことの重大性に気がつかない傾向にある。実際にはお互いに認知症であるがために、具合が悪くてもどこに連絡することも出来ない。夫の両親は健在だが、義母の方がもの忘れについて少し不安な部分がある。しかし二人揃っているので何とか生活出来ている状況のように私は感じる。夫にその旨を言っても「大丈夫!」のひとこと。実の子どもが大丈夫だというのに、私が下手に入り込んで妄想?が始まり「何がなくなった、何を取られた」と言われては本末転倒。嫁の介入の塩梅が難しい。

夫婦での認認介護の周囲からの協働、連携のケアが必要だが 介護は 介護される側も介護する側も忍耐が必要で 忍忍介護で ここにも協働、連携のケアを施してもらいたい。

行き着くところはヘルパー?

2009年2月27日金曜日

先日まで働いていた会社の同僚4人(全員がつい最近辞めた)と就職先について2時間ほど議論をした。

50歳を過ぎて就職活動をしても 15年以上仕事のブランクがあるということで落とされる。
一人はお子さんの体調がすぐれない期間があり パートを何件か繋げて10年以上働いているが働き口が無いという。
私だけかと思っていたら 同じ年頃の友人も皆落とされっぱなしとのことだった。
もう一人は教員免許もあり教員をしていたこともあり 図書館司書 学芸員、何の機会だかわからないが機械の一人は運転免許も持っている。おまけに大学院にまでいって考古学の勉強もして研究室で働いていたこともある。そんな優秀な彼女でさえ 何回履歴書を出しても 何回面談に行っても落とされる。面談にまでたどりつかないこともしばしばで 我々残り3人と同じ状況。35歳ぐらいのときであれば、これだけ資格があればどこでも就職できたのにとぼやいていた。
「年齢」と「継続した仕事がない」ということがネックだという結論になった。「今まで培った人間関係、ネットワークでその人たちの能力をコーディネイトして起業する」というのも一つの手だという話にもなった。

一方求人の多いのは介護職と 皆口をそろえて言う。そして続けて出てくる言葉は「ヘルパー関係だけはやりたくない」と。 偶然私たちはヘルパーへの就職を望まなかったわけだが、働き口が無いからヘルパー介護職につこうという人も多いと思われる。先日の「派遣が切られた人の受け入れ口」という話も同様だが、もっともっと志を高く持って介護施設に就職して丁寧な質の高い介護をしてもらいたい。それはショートで親を預けた経験。ヘルパーの資格のために実習に入った経験からだ。それには社会的に認められた仕事となるように。「皆が嫌がることをよくするわね」という尊敬の念ではなく、他人の命を預かる尊厳を守る素晴らしい仕事についていると褒められるような地位に格上げして 医者と同様 命を預かる仕事なのだからのように高給にできないものか。 厚労省の舛添さんに是非 介護職の社会的地位の向上のためのアクションをお願いしたい。


 

外国人が介護する

2009年2月17日火曜日

短期で入ったアルバイト先に 外国人留学生がいた。
祖国で学んできた日本語が古くて 日本では全く役に立たないという。
たしかに 「うざい」とか「やばい(最近はすごく良いという意味に使うようだが)」「~じゃん」という言葉は当然のことながら祖国の日本語の先生は教えないだろうし、もしかしたらそのような言葉あるいは言葉の意味も知らないかもしれない。

一方 外国人による老人介護が始まった。
祖国では看護師ということで とてもこころのこもったお世話をしているように映像から見受けられた。
1年間 日本語を学んで現場に出たら 習ってきた日本語と全く違う言葉ばかりだという。私は50代前半だが 私の親は一人は大正生まれでもう一人は昭和生まれ。この二人の間でも言葉は違っていた。大正生まれの親は「皇居」のことを「宮城(きゅうじょう)」と言っていた。二人の間の年齢差は10年あるかないかの差しかないのに使う言葉が違う。

ある場面で「かしこそうな顔をしている」と言われたら「かしこい??どういう意味??」と言ってパニックになっていた。生活習慣はもちろんだが 言葉の壁は大きい。
その上 3年以内に介護士の試験にパスしないと日本では働けないという。介護の世界はどういうわけだか難しい言葉が多い。たとえばベッドから車いすに移動するのを「移乗」と言ったり、日本人であっても感じの羅列で意味不明の言葉が多いように思う。その意味不明の言葉を日本人であっても仕事をしながら勉強して意味を理解して暗記して合格するのは並大抵なことではない。政府は3年後までにに介護士として自立した人を養成して輩出するつもりらしいが大変なことに乗り出してしまったものだ。その分の予算で時給と地位をあげるアクションをして 私のようにヘルパーの資格を持っているペーパーヘルパーを呼び起こす手段を考えた方が確実なプランだったのではないか。3年後が心配だ。 

今までは 「老人」イコール「ボランティア」として その活動を美化してきた日本の風土・体制にあるのだと思う。これからますます増える団塊の世代の方々が正真正銘の老人に仲間入りした時にも ボランティアがどうのこうのと言っているうちは 介護の世界の改革は進まないだろう。
今の団塊の世代の人たちは それ以下の世代に比べてボランティアというものに意欲的のように思う。それでも回っていかない時代に今現在突入しているのだから 今のうちに大きな立て直しをしないと 医療で延命した老人があふれ、 施設にはお世話をする人がほとんどいない状態で・・・大きな改革をする勇気のあるやる気のある政治家に一刻も早く改革してもらいたい。
 

 

在宅介護で家族に報酬があったら・・・

2009年2月14日土曜日

日本テレビで介護現場を扱っていた。
かの有名な しおじい が在宅で介護をしている人が外でアルバイトをするより 在宅で介護をしている人に報酬を出せば家で介護をする人も増えるだろう。現場では介護員が不足しているが在宅が増えて実質介護員の不足が補えるのではないかという話だった。

またある人は(誰だっったか名前も顔も忘れてしまった) 相続の際に介護した人もしない人も平等に分けるという今の相続に関する法律にも問題がある。介護をした人を優遇するような法律に変えるべきだとも言っていた。

たしかに。おまけに相続税も軽減するとか何かあってもよいのかもしれない。
ちょっと気になったのは しおじいは現役バリバリの老人だからか 切羽詰まったものを感じた。そう感じたのは私だけだろうか。

介護施設に預けると人で不足のためにオムツをさせられるが オムツにするがために益々ケアに時間がかかるということもあるのではないだろうか。オムツにするからオムツ交換に時間がかかり 寝たきりも作る。車いすに座っていても交流する人である介護員不足だからを話すこともしないから 頭がはっきりしなくり こころが内に向くから寝たきりになる。寝たきりになるから褥瘡などのケアに手間がかかる。うちの父を施設に預けていたらこんな悪のスパイラルになっていたと思う。 実際、ショートに預けるのは出来るだけ短くしてせいぜい長くて二泊にしていたが、それでもQOLがダウンして帰ってきていた。話す相手がいないとか オムツをさせられたとか もう不満がいっぱいで姥捨て山にでも捨てられた気分だったのではないかと思う。

私もヘルパー二級の資格は持っているが 食事介助や話し相手は出来るが それ以外のトイレ介助などもろもろは毎日毎日1日中十分にやってきて もうやりたくない。うんざりだ。50歳を過ぎて就職口があるのは介護員ぐらいしかないが こんな私でも活躍できる職種を作ってくれれば もしかしたら介護員として就職するかもしれない。

食事介助などはボランティアあるいはボランティアのようなおまけの業務として支えられている傾向があると思われるが 尊厳をもった食事と排泄を行うことは人間の最低の権利である。ましてやこれからますます老人が増える中で ボランティアで支えるというご都合主義の政府の政策には疑問を感じる。孫元、権利を守るためには ボランティアではなくしっかりと責任をもったケア持続可能なケアを考えるべきだと思う。

口腔ケアで病気予防

2009年2月4日水曜日

3年前の2月家族の用事で預けてショートステイに預けていた父が肺炎になり 緊急に入院した。早いものだ。

その数か月前にショートステイから がらがら声で帰ってきた。その頃はショートステイに行くと何やら文句ばかり言って帰ってきていて 大声で怒鳴ったというような話をしていたので怒鳴りすぎて声をからして帰ってきたのかと思っていた。しかし今考えると あの時に肺炎になりはじめていたのかもしれない。

またショートステイから帰って鼻をかむとよくティッシュが黒くなっていた。空気が汚れているのだろう。その上 口腔ケアも十分でないため 肺炎を起こしやすい状況にあったのではないだろうか。 口腔ケアの重要性がその割に知られていないのか。それもあるだろうが 時間をかけられないという口実のもと十分な口腔ケアがなされていないのが現実でとても本末転倒で残念なことだ。

肺炎球菌ワクチンをしようと思いながら 目先の用事で先延ばしにしていたのがいけなかったのかと当時はとても後悔した。

今年はインフルエンザが猛威をふるっているようで わが家の近くの老人病院では院内感染でお年寄りが死亡している。今さらインフルエンザのワクチンをしても抗体が作られるまでには時間がかかり間に合わないが 歯と歯肉の間と舌のケア、うがい、手洗い、マスクでも予防は出来るようだ。歯ブラシに加えデンタルフロスや歯間ブラシ、舌ブラシなどを使うとより容易に念入りなケアが出来て これであれば肺炎もインフルエンザもかなり予防できる。

ミニ情報介護をしていた当時 歯医者さんのみで扱っているバトラーの洗口液で最後に口をゆすいで仕上げをしていた。これはドラッグストアで売っているものに比べて非常にすぐれものでお勧めだ。もし興味があれば検索してみてください。

失業者が介護施設に?

2009年2月1日日曜日

先日某大学の教授二人と某大学の職員用レストランで食事をしてきた。
メンタルケアの講座で講義をしてくださった先生だ。
先生が介護家族のメンタルケアの組織を立ち上げそろそろ活動に入るということで 私も仲間に入れていただけるかどうかの いわば面談のようなものだ。
・・・とはいえ、先生に御馳走になってきてしまったのだから 面談になるのかどうか???

2時間ものあいだ いろいろなことを話てきた。
その中で 失業者の再雇用先として 介護施設が提案されていることについて話題にあがった。
一人の先生は 介護員不足で外国からホスピビリティのある労働者を雇うのはとても良いことだが
失業したから介護施設にという安易な考えに腹が立つという話だった。

もう一人の先生は外国人介護員について特に話すことはなかったが 失業者に仕事を与えるために介護の仕事が選ばれたことには いかに政府が介護という仕事を甘くみているかということで
これでは介護全体のレベルアップはのぞめないという話でまとまった。

介護の現場は「ありがとう」をたくさん言ってもらえるところでもあり とてもやりがいのある仕事だと思う。

一方 先日 短期アルバイトに行ったときのことだ。いかにもフリーターの人は勿論、学生さん風の人、挨拶をしても恥ずかしそうに下を向いてとても初々しい人18歳ぐらいに見える30歳の女性と様々なフリーターがいた。ほぼ共通して言えるのは 責任のあることを極端に嫌う。責任のない仕事がしたいから 長期のアルバイトや正社員にはなりたくないのだと言っている人が多かったこと。

今 話題になっている失業者はフリーターの人が多いと思われるが もし 責任のあることを極端に嫌うフリーターの人たちが介護の現場に入ったら かなり混乱するだろう。介護は人の命を預かる仕事でもあり、責任がついてまわる仕事だから。

「気がついたら転んでいました」「ベッドから落ちてました」「知らないうちにどこかに行っちゃいました」・・・なーんてことはないかしら。危機管理の出来る人でないと対処も出来ないだろう。
そもそも 危機管理が出来ていれば こういう日が来るのも予想できだわけで 色々な意味で根本的に難しいのではないだろうか。
もしこれが実現したら 介護施設に預けるのも心配になります。

福沢諭吉 学問のすすめ

2009年1月16日金曜日

今日は時間を作って 図書館で借りた学問のすゝめをゆっくりと読んだ。
明治の初期に書いた本であるにも関わらず 100年以上経った現代に読んでも全く古びていない内容であったことに感銘を受けた。

一方 親は長男ではなかったこともあり故郷の親の介護や世話は一切しなかった。そんな何もしなかった親だったが 私に身の回りの世話をしてもらっているということに対しては当然と思っていたのだろう。 私に対しての怨みがたくさん記されたノートが先日みつかった。私に対する不満や「あととりにと思っていた娘は嫁に行った。そんな娘に遺産など残す必要はない。」というような内容が面々と綴られているのを見て 落胆した。私のしていた介護は何だったのか。あの時にこうしていれば良かったのかと後悔したり反省したり  自分を責める2年間は何だったのか。

そんな中で読んだ「学問のすすめ」「人間は活動の自由を奪われると他人を怨み羨むもの」という言葉。そういえば あのノートを書き始めたころに 手足が重たくなってほとんどまっすぐに歩けない状態だったと思い そういうことも影響して書いたノートだったのかと思ったり。
なんだかんだと言っても 今更 逝った人に理由を尋ねるわけにもいかず憶測でしかない。
今日の「学問のすすめ」の読書により 自分を責めるのを止めるきっかけにしようと思い始めることが出来た。 

これほど すれ違いだったとは↓ 

2009年1月13日火曜日

親が亡くなってから2年3ヶ月。やっと心も落ち着き、気分の良い時には親の身の回りのものを少しずつ片付けられるようになった。

そんな中で先日は年老いてはるか昔に起こったことなのか、はるか昔のことを思い出しつつ見た夢のことなのか。わが家が引き起こしたこと(交流がなかった時期でその頃のことは何も知るはずもないし、 そのようなことはわが家に起きていなかったこと)を面々と書き記した親戚からの嫌な手紙を発見し、一つにまとめて焼却ゴミとした。(近いうちに処分しておかなければいけないが)

今日は親が記していたノートを発見した。いつも私の縫った袋に入れて枕元に置いていて、入院した時にも一言目にはそれを持ってきてくれと言って肌身離さず持っていたノートだ。あんなに具合が悪いのに最期に入院した時にも持って行っていったほど肌身離さず持っていた物だから何が書いてあるのか全く知らなかったが、私が一生懸命に病院とわが家を往復して世話をしている時も、また必死で介護をしている時も肌身離さず枕もとあるいは枕の下に置いていたそのノートにまさか私の悪口があんなに書いてあるとは。驚いた。親が元気であった時にあった出来事の見解の相違について、生々しい言葉で、親の人間性を疑うようなことが書いてあった。

私は親が亡くなってからおよそ2年間何を悩んでいたのだろう。介護をする前から 親も私を恨んでいた!なんとも言えない気持ちだ。外見上は仲の良さそうな親子だったと思うが。。。
ノートの中にこんなことが書かれていた。50年前に自分が新婚時代に購入した大事にしていた食器とスプーンを私がどこかに隠したとも記している。これは以前に言われたことがあるが それはそのあとすぐに一生懸命に探していたところバッグから出てきた。ウェストバッグがどうも重すぎるのでおかしいと思い探したら色々な小さなポケットからから数本出来てた。そのほかにも大事にしている鞄から数本数が出てきた。それでも足りないものがある。50年前に購入したもので大きな食器をのぞいては全て割れてしまったのでその旨言ったのだが「そうかな?」の一言で終わってしまったので一件落着したものだと思っていた。書いていたことを話してそのあとに消していないのか、そのあとにそういう経緯があったことを忘れて書かれたものなのかはわからないが、いずれにしろ納得していなかったのであろう。

親の具合がガクッと悪くなった一つの理由として 今なら体が弱っているので怒鳴られずに話を聞き入れてもらえると思い 母を亡くしたあと25年間の父に対する私の本当の思い、結婚を反対された時の気持ちなどをストレートにぶつけた。中でも母が亡くなってから父が「お母さんが死なずに私が死ねば良かったね」と言った時に「『お母さんとは今までよく話したけれども、お父さんが死んでいたら話すことなく死んでしまったから、話す時間があって良かった』と言ったけれども。」と言われたので「『本当はお父さんが死ねば良かったのに』と言いたかったけれども面と向かってそうは言えないからそう言ったんだ」と言ったら「そうだったのか」とガックリと肩を落としていた。それが大きな原因で具合が悪くなったのかと思い 反省するやら自分を責めるやら、言ってスッキリしたという気持ちやら複雑な心境だった。

でも親は死ぬまで親は私に対する恨み?を胸の中にしまって逝った。でもノートに残して逝った。これはやはりかなり私に恨みをもっていたのだろう。 1枚も2枚も上だったことがわかった。なにより 色々な思いがあり 一言では表現しきれないが 複雑な心境だ。

喋る相手がいなかったから ただ単にノートに記していたのだと思いたい。おまけに 私自身 人生の半分以上は過ぎた年だから 家族をがっかりさせるようなものは片付けようと思う。

あけましておめでとうございます(@^^)/

2009年1月4日日曜日

プライベートが忙しく ブログがストップしていました。継続は力なり。
今年も細々とでも続けていきたいと思っています。

さて お正月に夫の実家に 我が家で未使用の背もたれのついた折りたたみ式風呂椅子を持って行ってきた。折りたたみ式風呂椅子はお風呂の洗い場に入ったが ドアが閉まらない。洗い場が広くないこともあるのだが、脱衣場からお風呂場に入る際に向こう側に押して入るドアなので 折りたたみ式風呂椅子の脚が引っ掛かってドアが閉まらないのだ。 今まで気にもしていなかったが、改めて見てみると洗い場で倒れたら助け出すことが出来ない作りになっている。 折りたたみ式のドアにするか引いて入るようなドアに変更した方が良いのではないかと 住宅改修をすすめてきた。

去年は階段に手すりを早くつけた方が良いのではないかとアドバイスをしてきたのだが まだついていない。この1年で家の外壁、屋根を塗り替え、家の中の畳と襖はきれい取り替えて手入れしていたが 肝心の階段の手すりがついていない。そんなことを言っているさなか、二階でドタンバタンという音がしていた。何かと思えば 敷いてあった布団に足が引っ掛かり転んでいたという。 二階に寝室があること自体大丈夫なのかとも思うが 階段の上り下りで自然と足を鍛えていると思えば それもよし。
自分たちの入るお墓も徒歩5分以内の所に今月には購入しようと準備をすすめている。 何をどうするつもりなのかはわからないが 近い将来のためのことを夫婦で考えているいるようだ。そんな話ばかりのお正月であった。

80歳過ぎても夫婦二人揃っているから お互いに補い合って暮らしているが  義父だけあるいは義母だけでの一人暮らしは難しい状態だ。実の親の介護が終わりやっと精神的にも落ち着いてきたところ。しばらく元気でいてもらわないと 自分の人生が不完全燃焼のまま、他人の面倒をみている間に人生が終わってしまいそうだ。義父も義母も実際には親の介護はしていない。義母は2~3ヶ月に1週間ぐらいの割合で実の母親を預かって面倒をみていた時期もあったが とても大変だということで家に帰りたがる母親を兄弟同意のもとで 住まいから2時間近くかかる山奥の老人ホームに入ってもらっていた。そんなわけで義父母たちはどのようにするつもりなのかわからないが 家を処分するにしても引き継ぐにしても そのときには 私が手伝いに来なければいけないのかと思いながら 物の多い家の中を眺めていた次第。以前に「私たちは老人ホームに入れないでね」と言われたが ではどうしたいのか。同居したいのか。意志表明はまだされていない。考えるとお正月早々憂鬱になるのでやめておこう。

いつもお正月には御馳走になり泊ってくるのだが別れ際に 「来年のことを今から言うのはどうかと思うが」という前置きがあった上で「来年は 宿をとってお正月を迎えよう」ということを言われ同意してきた。来年まではそういう目標があるので元気でいてくれるかな・・・という期待を持って帰宅をした。

家族介護への報酬とは?

2008年11月18日火曜日

自分の財産は最後まで握っていないと お金を子どもに譲ったとたんに面倒をみてもらなくなるから譲るべきではないと言う話を新聞で読んだことがある。

もし介護に対する感謝の言葉もなく 「親だから」という理由だけで無報酬で介護に身を捧げる状況になったとしたら。。。
介護家族を自由の無い介護のストレスから少しでも解放するために 「老いては子に従え」で 少額で良いからお金で解決する方法もあるかもしれない。介護のストレスからの解放はお金よりも感謝の言葉が一番だが、お金はそれを裏打ちする場合もあるのではないだろうか。