短期で入ったアルバイト先に 外国人留学生がいた。
祖国で学んできた日本語が古くて 日本では全く役に立たないという。
たしかに 「うざい」とか「やばい(最近はすごく良いという意味に使うようだが)」「~じゃん」という言葉は当然のことながら祖国の日本語の先生は教えないだろうし、もしかしたらそのような言葉あるいは言葉の意味も知らないかもしれない。
一方 外国人による老人介護が始まった。
祖国では看護師ということで とてもこころのこもったお世話をしているように映像から見受けられた。
1年間 日本語を学んで現場に出たら 習ってきた日本語と全く違う言葉ばかりだという。私は50代前半だが 私の親は一人は大正生まれでもう一人は昭和生まれ。この二人の間でも言葉は違っていた。大正生まれの親は「皇居」のことを「宮城(きゅうじょう)」と言っていた。二人の間の年齢差は10年あるかないかの差しかないのに使う言葉が違う。
ある場面で「かしこそうな顔をしている」と言われたら「かしこい??どういう意味??」と言ってパニックになっていた。生活習慣はもちろんだが 言葉の壁は大きい。
その上 3年以内に介護士の試験にパスしないと日本では働けないという。介護の世界はどういうわけだか難しい言葉が多い。たとえばベッドから車いすに移動するのを「移乗」と言ったり、日本人であっても感じの羅列で意味不明の言葉が多いように思う。その意味不明の言葉を日本人であっても仕事をしながら勉強して意味を理解して暗記して合格するのは並大抵なことではない。政府は3年後までにに介護士として自立した人を養成して輩出するつもりらしいが大変なことに乗り出してしまったものだ。その分の予算で時給と地位をあげるアクションをして 私のようにヘルパーの資格を持っているペーパーヘルパーを呼び起こす手段を考えた方が確実なプランだったのではないか。3年後が心配だ。
今までは 「老人」イコール「ボランティア」として その活動を美化してきた日本の風土・体制にあるのだと思う。これからますます増える団塊の世代の方々が正真正銘の老人に仲間入りした時にも ボランティアがどうのこうのと言っているうちは 介護の世界の改革は進まないだろう。
今の団塊の世代の人たちは それ以下の世代に比べてボランティアというものに意欲的のように思う。それでも回っていかない時代に今現在突入しているのだから 今のうちに大きな立て直しをしないと 医療で延命した老人があふれ、 施設にはお世話をする人がほとんどいない状態で・・・大きな改革をする勇気のあるやる気のある政治家に一刻も早く改革してもらいたい。
日本テレビで介護現場を扱っていた。
かの有名な しおじい が在宅で介護をしている人が外でアルバイトをするより 在宅で介護をしている人に報酬を出せば家で介護をする人も増えるだろう。現場では介護員が不足しているが在宅が増えて実質介護員の不足が補えるのではないかという話だった。
またある人は(誰だっったか名前も顔も忘れてしまった) 相続の際に介護した人もしない人も平等に分けるという今の相続に関する法律にも問題がある。介護をした人を優遇するような法律に変えるべきだとも言っていた。
たしかに。おまけに相続税も軽減するとか何かあってもよいのかもしれない。
ちょっと気になったのは しおじいは現役バリバリの老人だからか 切羽詰まったものを感じた。そう感じたのは私だけだろうか。
介護施設に預けると人で不足のためにオムツをさせられるが オムツにするがために益々ケアに時間がかかるということもあるのではないだろうか。オムツにするからオムツ交換に時間がかかり 寝たきりも作る。車いすに座っていても交流する人である介護員不足だからを話すこともしないから 頭がはっきりしなくり こころが内に向くから寝たきりになる。寝たきりになるから褥瘡などのケアに手間がかかる。うちの父を施設に預けていたらこんな悪のスパイラルになっていたと思う。 実際、ショートに預けるのは出来るだけ短くしてせいぜい長くて二泊にしていたが、それでもQOLがダウンして帰ってきていた。話す相手がいないとか オムツをさせられたとか もう不満がいっぱいで姥捨て山にでも捨てられた気分だったのではないかと思う。
私もヘルパー二級の資格は持っているが 食事介助や話し相手は出来るが それ以外のトイレ介助などもろもろは毎日毎日1日中十分にやってきて もうやりたくない。うんざりだ。50歳を過ぎて就職口があるのは介護員ぐらいしかないが こんな私でも活躍できる職種を作ってくれれば もしかしたら介護員として就職するかもしれない。
食事介助などはボランティアあるいはボランティアのようなおまけの業務として支えられている傾向があると思われるが 尊厳をもった食事と排泄を行うことは人間の最低の権利である。ましてやこれからますます老人が増える中で ボランティアで支えるというご都合主義の政府の政策には疑問を感じる。孫元、権利を守るためには ボランティアではなくしっかりと責任をもったケア、持続可能なケアを考えるべきだと思う。
3年前の2月家族の用事で預けてショートステイに預けていた父が肺炎になり 緊急に入院した。早いものだ。
その数か月前にショートステイから がらがら声で帰ってきた。その頃はショートステイに行くと何やら文句ばかり言って帰ってきていて 大声で怒鳴ったというような話をしていたので怒鳴りすぎて声をからして帰ってきたのかと思っていた。しかし今考えると あの時に肺炎になりはじめていたのかもしれない。
またショートステイから帰って鼻をかむとよくティッシュが黒くなっていた。空気が汚れているのだろう。その上 口腔ケアも十分でないため 肺炎を起こしやすい状況にあったのではないだろうか。 口腔ケアの重要性がその割に知られていないのか。それもあるだろうが 時間をかけられないという口実のもと十分な口腔ケアがなされていないのが現実でとても本末転倒で残念なことだ。
肺炎球菌ワクチンをしようと思いながら 目先の用事で先延ばしにしていたのがいけなかったのかと当時はとても後悔した。
今年はインフルエンザが猛威をふるっているようで わが家の近くの老人病院では院内感染でお年寄りが死亡している。今さらインフルエンザのワクチンをしても抗体が作られるまでには時間がかかり間に合わないが 歯と歯肉の間と舌のケア、うがい、手洗い、マスクでも予防は出来るようだ。歯ブラシに加えデンタルフロスや歯間ブラシ、舌ブラシなどを使うとより容易に念入りなケアが出来て これであれば肺炎もインフルエンザもかなり予防できる。
ミニ情報:介護をしていた当時 歯医者さんのみで扱っているバトラーの洗口液で最後に口をゆすいで仕上げをしていた。これはドラッグストアで売っているものに比べて非常にすぐれものでお勧めだ。もし興味があれば検索してみてください。
先日某大学の教授二人と某大学の職員用レストランで食事をしてきた。
メンタルケアの講座で講義をしてくださった先生だ。
先生が介護家族のメンタルケアの組織を立ち上げそろそろ活動に入るということで 私も仲間に入れていただけるかどうかの いわば面談のようなものだ。
・・・とはいえ、先生に御馳走になってきてしまったのだから 面談になるのかどうか???
2時間ものあいだ いろいろなことを話てきた。
その中で 失業者の再雇用先として 介護施設が提案されていることについて話題にあがった。
一人の先生は 介護員不足で外国からホスピビリティのある労働者を雇うのはとても良いことだが
失業したから介護施設にという安易な考えに腹が立つという話だった。
もう一人の先生は外国人介護員について特に話すことはなかったが 失業者に仕事を与えるために介護の仕事が選ばれたことには いかに政府が介護という仕事を甘くみているかということで
これでは介護全体のレベルアップはのぞめないという話でまとまった。
介護の現場は「ありがとう」をたくさん言ってもらえるところでもあり とてもやりがいのある仕事だと思う。
一方 先日 短期アルバイトに行ったときのことだ。いかにもフリーターの人は勿論、学生さん風の人、挨拶をしても恥ずかしそうに下を向いてとても初々しい人18歳ぐらいに見える30歳の女性と様々なフリーターがいた。ほぼ共通して言えるのは 責任のあることを極端に嫌う。責任のない仕事がしたいから 長期のアルバイトや正社員にはなりたくないのだと言っている人が多かったこと。
今 話題になっている失業者はフリーターの人が多いと思われるが もし 責任のあることを極端に嫌うフリーターの人たちが介護の現場に入ったら かなり混乱するだろう。介護は人の命を預かる仕事でもあり、責任がついてまわる仕事だから。
「気がついたら転んでいました」「ベッドから落ちてました」「知らないうちにどこかに行っちゃいました」・・・なーんてことはないかしら。危機管理の出来る人でないと対処も出来ないだろう。
そもそも 危機管理が出来ていれば こういう日が来るのも予想できだわけで 色々な意味で根本的に難しいのではないだろうか。
もしこれが実現したら 介護施設に預けるのも心配になります。
今日は時間を作って 図書館で借りた「学問のすゝめ 」をゆっくりと読んだ。
明治の初期に書いた本であるにも関わらず 100年以上経った現代に読んでも全く古びていない内容であったことに感銘を受けた。
一方 親は長男ではなかったこともあり故郷の親の介護や世話は一切しなかった。そんな何もしなかった親だったが 私に身の回りの世話をしてもらっているということに対しては当然と思っていたのだろう。 私に対しての怨みがたくさん記されたノートが先日みつかった。私に対する不満や「あととりにと思っていた娘は嫁に行った。そんな娘に遺産など残す必要はない。」というような内容が面々と綴られているのを見て 落胆した。私のしていた介護は何だったのか。あの時にこうしていれば良かったのかと後悔したり反省したり 自分を責める2年間は何だったのか。
そんな中で読んだ「学問のすすめ」に「人間は活動の自由を奪われると他人を怨み羨むもの」という言葉。そういえば あのノートを書き始めたころに 手足が重たくなってほとんどまっすぐに歩けない状態だったと思い そういうことも影響して書いたノートだったのかと思ったり。
なんだかんだと言っても 今更 逝った人に理由を尋ねるわけにもいかず憶測でしかない。
今日の「学問のすすめ」の読書により 自分を責めるのを止めるきっかけにしようと思い始めることが出来た。
親が亡くなってから2年3ヶ月。やっと心も落ち着き、気分の良い時には親の身の回りのものを少しずつ片付けられるようになった。
そんな中で先日は年老いてはるか昔に起こったことなのか、はるか昔のことを思い出しつつ見た夢のことなのか。わが家が引き起こしたこと(交流がなかった時期でその頃のことは何も知るはずもないし、 そのようなことはわが家に起きていなかったこと)を面々と書き記した親戚からの嫌な手紙を発見し、一つにまとめて焼却ゴミとした。(近いうちに処分しておかなければいけないが)
今日は親が記していたノートを発見した。いつも私の縫った袋に入れて枕元に置いていて、入院した時にも一言目にはそれを持ってきてくれと言って肌身離さず持っていたノートだ。あんなに具合が悪いのに最期に入院した時にも持って行っていったほど肌身離さず持っていた物だから何が書いてあるのか全く知らなかったが、私が一生懸命に病院とわが家を往復して世話をしている時も、また必死で介護をしている時も肌身離さず枕もとあるいは枕の下に置いていたそのノートにまさか私の悪口があんなに書いてあるとは。驚いた。親が元気であった時にあった出来事の見解の相違について、生々しい言葉で、親の人間性を疑うようなことが書いてあった。
私は親が亡くなってからおよそ2年間何を悩んでいたのだろう。介護をする前から 親も私を恨んでいた!なんとも言えない気持ちだ。外見上は仲の良さそうな親子だったと思うが。。。
ノートの中にこんなことが書かれていた。50年前に自分が新婚時代に購入した大事にしていた食器とスプーンを私がどこかに隠したとも記している。これは以前に言われたことがあるが それはそのあとすぐに一生懸命に探していたところバッグから出てきた。ウェストバッグがどうも重すぎるのでおかしいと思い探したら色々な小さなポケットからから数本出来てた。そのほかにも大事にしている鞄から数本数が出てきた。それでも足りないものがある。50年前に購入したもので大きな食器をのぞいては全て割れてしまったのでその旨言ったのだが「そうかな?」の一言で終わってしまったので一件落着したものだと思っていた。書いていたことを話してそのあとに消していないのか、そのあとにそういう経緯があったことを忘れて書かれたものなのかはわからないが、いずれにしろ納得していなかったのであろう。
親の具合がガクッと悪くなった一つの理由として 今なら体が弱っているので怒鳴られずに話を聞き入れてもらえると思い 母を亡くしたあと25年間の父に対する私の本当の思い、結婚を反対された時の気持ちなどをストレートにぶつけた。中でも母が亡くなってから父が「お母さんが死なずに私が死ねば良かったね」と言った時に「『お母さんとは今までよく話したけれども、お父さんが死んでいたら話すことなく死んでしまったから、話す時間があって良かった』と言ったけれども。」と言われたので「『本当はお父さんが死ねば良かったのに』と言いたかったけれども面と向かってそうは言えないからそう言ったんだ」と言ったら「そうだったのか」とガックリと肩を落としていた。それが大きな原因で具合が悪くなったのかと思い 反省するやら自分を責めるやら、言ってスッキリしたという気持ちやら複雑な心境だった。
でも親は死ぬまで親は私に対する恨み?を胸の中にしまって逝った。でもノートに残して逝った。これはやはりかなり私に恨みをもっていたのだろう。 1枚も2枚も上だったことがわかった。なにより 色々な思いがあり 一言では表現しきれないが 複雑な心境だ。
喋る相手がいなかったから ただ単にノートに記していたのだと思いたい。おまけに 私自身 人生の半分以上は過ぎた年だから 家族をがっかりさせるようなものは片付けようと思う。
プライベートが忙しく ブログがストップしていました。継続は力なり。
今年も細々とでも続けていきたいと思っています。
さて お正月に夫の実家に 我が家で未使用の背もたれのついた折りたたみ式風呂椅子を持って行ってきた。折りたたみ式風呂椅子はお風呂の洗い場に入ったが ドアが閉まらない。洗い場が広くないこともあるのだが、脱衣場からお風呂場に入る際に向こう側に押して入るドアなので 折りたたみ式風呂椅子の脚が引っ掛かってドアが閉まらないのだ。 今まで気にもしていなかったが、改めて見てみると洗い場で倒れたら助け出すことが出来ない作りになっている。 折りたたみ式のドアにするか引いて入るようなドアに変更した方が良いのではないかと 住宅改修をすすめてきた。
去年は階段に手すりを早くつけた方が良いのではないかとアドバイスをしてきたのだが まだついていない。この1年で家の外壁、屋根を塗り替え、家の中の畳と襖はきれい取り替えて手入れしていたが 肝心の階段の手すりがついていない。そんなことを言っているさなか、二階でドタンバタンという音がしていた。何かと思えば 敷いてあった布団に足が引っ掛かり転んでいたという。 二階に寝室があること自体大丈夫なのかとも思うが 階段の上り下りで自然と足を鍛えていると思えば それもよし。
自分たちの入るお墓も徒歩5分以内の所に今月には購入しようと準備をすすめている。 何をどうするつもりなのかはわからないが 近い将来のためのことを夫婦で考えているいるようだ。そんな話ばかりのお正月であった。
80歳過ぎても夫婦二人揃っているから お互いに補い合って暮らしているが 義父だけあるいは義母だけでの一人暮らしは難しい状態だ。実の親の介護が終わりやっと精神的にも落ち着いてきたところ。しばらく元気でいてもらわないと 自分の人生が不完全燃焼のまま、他人の面倒をみている間に人生が終わってしまいそうだ。義父も義母も実際には親の介護はしていない。義母は2~3ヶ月に1週間ぐらいの割合で実の母親を預かって面倒をみていた時期もあったが とても大変だということで家に帰りたがる母親を兄弟同意のもとで 住まいから2時間近くかかる山奥の老人ホームに入ってもらっていた。そんなわけで義父母たちはどのようにするつもりなのかわからないが 家を処分するにしても引き継ぐにしても そのときには 私が手伝いに来なければいけないのかと思いながら 物の多い家の中を眺めていた次第。以前に「私たちは老人ホームに入れないでね」と言われたが ではどうしたいのか。同居したいのか。意志表明はまだされていない。考えるとお正月早々憂鬱になるのでやめておこう。
いつもお正月には御馳走になり泊ってくるのだが別れ際に 「来年のことを今から言うのはどうかと思うが」という前置きがあった上で「来年は 宿をとってお正月を迎えよう」ということを言われ同意してきた。来年まではそういう目標があるので元気でいてくれるかな・・・という期待を持って帰宅をした。