あけましておめでとうございます(@^^)/

2009年1月4日日曜日

プライベートが忙しく ブログがストップしていました。継続は力なり。
今年も細々とでも続けていきたいと思っています。

さて お正月に夫の実家に 我が家で未使用の背もたれのついた折りたたみ式風呂椅子を持って行ってきた。折りたたみ式風呂椅子はお風呂の洗い場に入ったが ドアが閉まらない。洗い場が広くないこともあるのだが、脱衣場からお風呂場に入る際に向こう側に押して入るドアなので 折りたたみ式風呂椅子の脚が引っ掛かってドアが閉まらないのだ。 今まで気にもしていなかったが、改めて見てみると洗い場で倒れたら助け出すことが出来ない作りになっている。 折りたたみ式のドアにするか引いて入るようなドアに変更した方が良いのではないかと 住宅改修をすすめてきた。

去年は階段に手すりを早くつけた方が良いのではないかとアドバイスをしてきたのだが まだついていない。この1年で家の外壁、屋根を塗り替え、家の中の畳と襖はきれい取り替えて手入れしていたが 肝心の階段の手すりがついていない。そんなことを言っているさなか、二階でドタンバタンという音がしていた。何かと思えば 敷いてあった布団に足が引っ掛かり転んでいたという。 二階に寝室があること自体大丈夫なのかとも思うが 階段の上り下りで自然と足を鍛えていると思えば それもよし。
自分たちの入るお墓も徒歩5分以内の所に今月には購入しようと準備をすすめている。 何をどうするつもりなのかはわからないが 近い将来のためのことを夫婦で考えているいるようだ。そんな話ばかりのお正月であった。

80歳過ぎても夫婦二人揃っているから お互いに補い合って暮らしているが  義父だけあるいは義母だけでの一人暮らしは難しい状態だ。実の親の介護が終わりやっと精神的にも落ち着いてきたところ。しばらく元気でいてもらわないと 自分の人生が不完全燃焼のまま、他人の面倒をみている間に人生が終わってしまいそうだ。義父も義母も実際には親の介護はしていない。義母は2~3ヶ月に1週間ぐらいの割合で実の母親を預かって面倒をみていた時期もあったが とても大変だということで家に帰りたがる母親を兄弟同意のもとで 住まいから2時間近くかかる山奥の老人ホームに入ってもらっていた。そんなわけで義父母たちはどのようにするつもりなのかわからないが 家を処分するにしても引き継ぐにしても そのときには 私が手伝いに来なければいけないのかと思いながら 物の多い家の中を眺めていた次第。以前に「私たちは老人ホームに入れないでね」と言われたが ではどうしたいのか。同居したいのか。意志表明はまだされていない。考えるとお正月早々憂鬱になるのでやめておこう。

いつもお正月には御馳走になり泊ってくるのだが別れ際に 「来年のことを今から言うのはどうかと思うが」という前置きがあった上で「来年は 宿をとってお正月を迎えよう」ということを言われ同意してきた。来年まではそういう目標があるので元気でいてくれるかな・・・という期待を持って帰宅をした。

家族介護への報酬とは?

2008年11月18日火曜日

自分の財産は最後まで握っていないと お金を子どもに譲ったとたんに面倒をみてもらなくなるから譲るべきではないと言う話を新聞で読んだことがある。

もし介護に対する感謝の言葉もなく 「親だから」という理由だけで無報酬で介護に身を捧げる状況になったとしたら。。。
介護家族を自由の無い介護のストレスから少しでも解放するために 「老いては子に従え」で 少額で良いからお金で解決する方法もあるかもしれない。介護のストレスからの解放はお金よりも感謝の言葉が一番だが、お金はそれを裏打ちする場合もあるのではないだろうか。

前向きに振り返る

2008年11月14日金曜日

介護が終わっておよそ2年経ち 嫌な部分は忘れかけ ちょうど良い加減なのが今なのかもしれない。
過去を振り返り辛かったことばかり思っていても前へは進まない。

先日 どこかの大学の先生が「昔に好きだった音楽や状況に身を置くと 脳だけでなく体も若返る」という話をしていた。
私の学生時代は ディスコミュージックが全盛期の時。聴くたびに学生時代を思い出してワクワクしたものだ。久々にそのディスコミュージックを聞く機会があり 時々聞いているのだが 当時のワクワクした気分は少し忘れかけていて少々がっかりしたが 懐かしさ、楽しかった時代を思い出す手掛かりにはなる。いつもは使わない脳や体の部分を使うのは 確かに良いことなのかもしれない。

子どもの頃から習いたかったダンスを 1年ほど前から習い始めている。当時あこがれたダンスと言えば映画ウェストサイドストーリーのジョージ・チャキルスの足をスッと上に高くあげて踊る切れの良いジャズダンスだ。この年になって始めるのだから とてもとても足は上がらないし体も動かないが 頑張って色々なダンスに挑戦している。ダンスというよりはストレッチに通っているという感じなのだが。。。

始めたばかりの1年ほど前は 何十回同じダンスをしていても全く覚えられなかった。ところが今は最初の4小節ぐらい(次を覚えると忘れてしまうのが難点だ)はほぼ覚えられるようになった。以前とは違う部分の脳を使っていることが実感できる。
過去を振り返ることも悪いことばかりではなく、忘れかけていたやりたかったことをこの年になってなぞるチャンスにもなるものである。こころの健康を保つためにも 過去を振り返り楽しかったこと、栄光を思い出してみるのはいかがでしょうか。

介護者と家族の心のケア

2008年11月12日水曜日

数か月前から読みたいと思っていた本を 先日近くの図書館から借りてきて 一気に読んだ。
介護者と家族の心のケア ~介護家族カウンセリングの理論と実践~ 渡辺俊之著 (金剛出版)だ。

介護の負担感、介護ストレスの部分は特に 私のこころの声を分析されているのではないかと思われるほど的確な原因分析がなされていた。

それらを一言で言うと
負担感の原因身体的疲労介護による私的な生活の妨害。介護とは喪失との対峙で健康で若くて強かった親が弱っていく悲しみの感情がこころに湧きあがること。

ストレスの原因は 親の機能低下や病気の進行に伴う喪失感。介護者と親との関係にもともと問題がある。介護者と周囲との関係。義務や責任で介護にあたること義務的な関係が介護により増強される。感謝をしてくれない、あるいは介護の気持ちが届かない。ということがあると言う。おまけに、要介護状態になると人はおとなの部分が剥がされて元の人格が協調されて出現し、人格に偏りが出てくる。例えば依存的な人は極めて依存的になる。介護者にどっぷり依存して一人では何も出来ない。ということがある。

つまり、義務、責任、現実的状況のために介護からの逃避が許されず、葛藤を乗り越えて介護を続けることが強いられることに こころも体も参ってしまっていたのだと冷静に振り返ることが出来た。

家族だからこそ 細かなところまで気がつくことができるが その分ストレスも多く過去との比較や現実に向き合いながらの介護は葛藤はとても大きなものだ。これが夫の親の介護だったら また別の感情が出現しているのかもしれないが、実の親だったら自宅に抱え込んでの介護はしていなかったかもしれない。

11月11日は介護の日

2008年11月10日月曜日

先日、友人に壮大な景色の公園に連れて行ってもらった。そこで公園内の茶屋に立ち寄った。茶屋からはすばらしい日本庭園と背景の山々がのぞめ、素晴らしい時間を過ごした。
茶屋からは ちょうどデイサービスの利用者のような方々が出てこられ 一団と入れ違いになった。その中に具合の悪い時の父の面影によく似た男性がいた。かなり具合の悪い時の様子にあまりにも似ていたので、目をそらしてみたり父の面影を重ねてみたり複雑な心境だった。父によく似ていたが、この男性の方がずっとお元気で、父ぐらい具合の悪い人の介護は自宅ではあまりしないものなのかと不思議に、また私はすごい人を抱えて介護していたのだと確認した次第だった。

昨日、電車に乗っていて、父のように立ち上がるのに苦労している男性を見かけた。椅子から転げ落ちそうな格好をして頑張っていたので、思わず手助けに行こうかと思ったほどだった。しかし手を貸すことが良いことなのかどうか迷い、一人で電車に乗っているのだからしばらく見守ってみようと思い、席を立ち電車を降りるところまでを見守った。体を動かすのは自由で内容だが、上手に椅子から立ち上がり電車を降り、歩いて行かれた。父ほど具合が悪い人は家では介護をしないのだなと再確認した。
介護をどこでするか。これはその後の自分の生活、精神状態にとってもとても重要なポイントだ。

痛みとは?

2008年10月14日火曜日

なぜ こんなに腱鞘炎がひどくなるまで介護をしたのだろうかと ふと考えた。父が「家で過ごしたい」と言ったことが 一番。二つ目は頭がしっかりしていて とても敏感なであり記憶・思考がしっかりしちえる父を 施設に入れるのは忍びなかったこと。そんな父であったが 度々空白の時間があった。
横紋筋融解症で病院に入院しているときに『「お腹がイタイ、イタイ、イタイ・・・。娘を呼んでくれ~!」と叫んでいる』 と看護師さんから呼び出しがたびたびあった。そのたびに1時間ほどかけて病院に出向いていた。痛みが父を変える。腹痛とともに人格が変わる。病院に着く頃には痛みがおさまりけろっとしている。「イタイ」と言っていたその間の記憶は全くなくなるのか、痛かったことや大騒ぎして私を呼び出したことも覚えていない。

秋になると我が家はよく横浜の中華街に行く。その時も父に喜んでもらおうと思い 父の大好きな中華街の月餅を購入し 差し入れで持っていったことがある。しかしいつ持って行っても腹痛でそれどころではない状況。本当にがっかりした。今でも中華街の月餅を見ると 静まり返った病棟で「イタイ、イタイ、イタイ」と言っていた父を思い出す。


当時ヘルニアがあったのでそれが原因と病院では思われていた部分があったが それだけではなさそうだった。ヘルニアの手術をして帰宅してからも よく腹痛で悩まされていた。その時必ず「お父さん、ヘルニアの手術をして治っているのよ。」と言うと「ああ、そうか」と言って穏やかな顔に急変していた。

痛みの顕位のドクター自身が 悪性腫瘍になり激しい痛みを和らげるために行ったことは 故郷の川の流れのせせらぎを聴くことだったという。今まで色々な論文を書いてきたが あれは間違いだった。今まで自分がたくさんの患者さんに出していたどんな強い痛み止めの薬も痛みには効かない。自分の研究は間違いだったと言っていたそうである。痛みのメカニズムはとても複雑で難しいものなのだということだけはわかる。

※(聖路加の日野原先生が『医療者は「イタイ!」と言ってもあまり動いてくれないので「イタイ、イタイ、イタイ!」と3回言うと何か医療的なことをしようと医療者は動く』とおっしゃっているそうである。確かに、父はいつも「イタイ、イタイ、イタイ!」と言っては手を施してもらっていたので実証済み。何かの折に痛みを訴える時には3回言うことをおすすめしたい。)

ところで 先日そのようなことをその当時の主治医に会った時に話をしたらよく覚えていてくださり 「お父さんの痛がる症状を抑えることはできなかったし、坂道を転げ落ちていくあのスピードはただものではなかった。パーキンソンが引き金ではなく別の形で天寿を全うされると思っていたのですが、坂道を転げ落ちるようにそして最後はズドンと落ちていく症状だった。薬ではコントロールできずに難しかった。」と話された。臨床をたくさん診ておられる医師でさえ見たことのない症例だったという話をきき、どおりで介護が大変だったわけだと納得した。痛みはもちろんのこと 病気を良くするのも悪くするのもメンタル面が大きく影響しているということなのだろうか。病気に負けない強いこころを築き上げることが これからの人生のテーマなのかもしれない。













 

ロボットスーツが一般化

2008年10月7日火曜日

10月に入ると キンモクセイの香りともに腱鞘炎がやってくる。
休めない介護で すっかり悪化させてしまった。

一方 ロボットスーツが一般化する兆しが見えてきた。
本格的に生産をするようだ。
まずは介護施設で使われるようになるようだ。
何しろレンタル料が月に15万~20万前後と結構なお値段だ。
ロボットスーツを家庭で使えるようになるにはまだ時間がかかるかもしれない。
何しろ家事のような細かいことをするには着用したままでは生活しいくそうな構造だ。
今のところは介護施設等 介護を専門に行う人が着用することになるのだろう。

在宅介護をするには 家庭向けの簡単なロボットスーツが普及することが望まれる。
私の心配は それをつけた介護者の筋力が落ち リハビリが必要になることはないのかということ。