登山 櫛形山

2010年8月18日水曜日

山梨県の櫛形山に行ってきました。

朝6時に町田を出発し 
7時45分に櫛形山の登山道の入り口がある県民の森に到着
8時15分から登山開始
最初の30分が 登山初心者のパートナーにとってはかなりきつかったようだ。

標高950メートルからのスタートで 空気が薄く
登山ペースのわからないパートナーにとっては少々きつかったようだ。

途中 12時少し過ぎに 小屋があったのでその中で
持っていた昼食を食べ トイレに行き 水場で水を汲み 頂上に向かった。

頂上には14時少し前に着いた。5時間45分ほどかかった。標高は2000メートル少々。
予定では4時間30分の道のりだ。
下山のことを考えるとタッチ&ゴーで行きたかったところだが
かなり疲れているようだったので休憩をして 14時15分頃に出発した。

パートナーが初心者だったので 登り初めて1時間ぐらいで疲れたのか
足を肩幅ぐらい 広げて歩いて苦戦していた。
1本で歩き 体をぶれさせないように歩くことを勧めた。

下りは足の運びのコツがわからず 踵から着く歩き方をしていて
かなり足が疲労していた。その歩き方を早く気付いてあげれば良かったのだが
後ろから見て 膝が笑っているのを見てから分かったことだった。


県民の森まで無事 予定通りの時間に着くのは絶望的な状態で
下りは予定のペースで歩けたとしても 県民の森には4時半着で 
頂上についてから終始不安だった。
元々森林の中を歩くコースで朝でも薄暗いのだが 
日の入りが近づきどんどんと暗くなり とても不安だった。
しかし 足が棒のようになったパートナーは着々と横歩きで前へ進むので精いっぱいで
こちらの不安は 気づいていない。夕方の山が急に暗くなることを知らないのだから仕方がない。

不安を与えても仕方がないので パートナーの荷物を少し持ち体の負担を少なくして下山することを提案したが プライドがあり受け入れてもらえなかった。
しばらく歩いて 山は暗くなると危ないので 荷物を持つから
山は元気な人が荷物を持って歩くものだと言ったのですが
大丈夫と言う。

とはいえ なかなか前に進まず 周りは暗くなってくる。
今度は 私の荷物の方が軽いようなので交換しましょうと言って私のザックを背負ってもらったが
大柄の男性の手は私のザックはきつかった。
そこで 調整するからと言って 背負っていた私のザックを取り上げ
既に私が背負っていた パートナーのザックと一緒に持つことにした。
悪いとかなんだかんだと言っていたが 
「山は暗くなるととても危ないので明るいうちに下山しましょう。」と言いきったら
今の状況が理解できたのか 従ってくれた。

それにしてもなかなか着かない。
足を動かしていればそのうち着くことは知っていたが 
夕暮れや日没を考えると どうしても焦ってしまう。


手で持ちあげれば重たかったザックだが 背負ってみればどうってことはなく
結局 私は二つのザックを背負って急斜面を下山した。

結局県民の森に着いたのは17時45分で
頂上から3時間30分。予定では2時間30分だったので 1時間遅れ。
朝8時15分に歩き始めて ちょうど9時間30分。
初心者のパートナー 
大人になって初めての山登りで 9時間30分もよく頑張りました。 

帰りは車を降りるたびに 棒のように伸びた足で歩いていた。
登る前にアミノ酸を飲んでいなかったら どうなっていたのでしょう。
おかげで 私は翌日もほとんど痛くなく
痛みが出るはずの翌々日も 少し痛いだけで日常生活に支障なく体を動かすことが出来た。

パートナーは もう懲りたかもしれない。
だけど 私が提案した山をすべて却下してご自分で選んだ山。
後悔は無いはず。

体の調子が治るに 2週間ぐらいかかるかもしれないというのが
別れ言葉だった。
体も心も 良い思い出にするには それぐらいかかるのかもしれない。



 

治療に結びつかない検査をする価値とは?

2010年1月23日土曜日

神妙な顔をして義母が私に聴いてほしいことがあると言う。
それは腎臓が機能していない糖尿病の義母が 先日精密検査をしたらしい。CTを撮ったら ポリープがたくさんあったらしい。それが今後わるさをするのかどうかは様子をみる必要があるらしい。そこでもう一つ不具合だみつかったという。お腹の中の動脈瘤がみつかったらしい。見つかった時は4ミリ。先日また検査をしたら4.1ミリになっていたという。これが5ミリになると危ないとのことで、血圧を上げないことが一番の予防法らしい。「腎臓の機能しない人には手術は出来ないと言われ、ショックだ。私は爆弾を抱えている。いつどうなるかわからない。」と不安を訴えてきた。

血圧の薬は効いているのかと尋ねると 全く効かないという。動脈瘤のことを血圧の方のドクターにちゃんと伝えてあるのかと尋ねると 言っていないという。血圧のドクターと動脈瘤のドクターは別の病院で それぞれの病態の説明はあるが 協働して何かの手立てをうつということは当然ながらしてもらえていない。

私が 病院を整理したらどうか?一緒に病院に行きましょうか?と提案したら「いい(不要の意)」とキッパリと言う。効かない薬を飲み 何も行動しないで それでいて長生きしたいと矛盾なことを切々と私に訴える。自分で選んだ方法なのだから仕方が無いけれども もしものことがあったらいかなる形でも最終的に面倒を看るのは私たちなのですが。。。
結局自己責任で好きなようにしてもらった方が 81歳の義母には幸せなことなのだろう。病院を変えて何かがあったら 私のせいいなって夫や夫の兄弟からつるしあげられても困るので ここは他人の嫁は静かにしておくことに決めた。

体の内部を切らずに検査でわかるようになり 早めの治療が受けられるようになった。しかし高齢者にとっては義母のように検査費を徴収され不安材料をつきつけられるツールでしかない。治療出来ないことがわかっている人に検査をして病気を探し出して何をすれば良いのか。検査をして欲しいという欲求にはこたえられるが満足にはつながらない。それが今の医療レベル。病院の収入源と保険の無駄遣いであり 患者にとっての価値がいかほどあるのか疑問だ。

[介護の一工夫] 2周年 

2010年1月20日水曜日

介護で得た [介護の一工夫]  の情報を発信し介護家族の生活を支えたいという思いから始めた当サイトも 早いもので今日で丸2年経つ。

その間には 介護家族のこころのケア や 家族の介護を助けることで家族の生活を守ることの必要性を訴えてきたつもりだ。しかし私の力不足(私だけの力ではどうにもならないのだが)もあり、介護家族への対応は2年前と全く変わっていないのは残念なことだ。これからも介護について また介護家族の実態を世の中に知ってもらうために 発信していきたい。

今年は寅年。寅を射る 寅射(トライ) の意気込みで綴っていきます。
3周年に向けて 応援お願いいたします。

野菜を中心にした 魚・肉の料理が出てくるお店。
場所は名前の通り 東京・日本橋。日本橋駅あるいは茅場町駅が最寄り。
小諸そばの隣の地下にある。間口が狭いので お店の前にいても 通り過ぎてしまうほど入り口のアピールが少ない。しかしせまい階段を下りていくと 20人は入れて 入口からは想像が出来ないが結構広い。

最初に出てきたサラダは かために茹でた ニンジン、様々なダイコン、様々なカブ、ルッコラ(だと思う) 様々なブロッコリー、かぼちゃ。茹でてあるのに歯触りがポリポリとするほどかために茹でてあり おいしい。

あまだいや鶏肉も出てきたが ちょっと焦げ目があって おいしい。これにも勿論様々な野菜がアレンジして盛り合わせてある。聖護院ダイコンとひき肉ダンゴの煮物はおいしく ちょうど聖護院ダイコンが手に入ったので 早速家で作ってみた。

ここはとてもおいしいので 是非おすすめ。

遮光土偶(國學院大學・渋谷)

2010年1月15日金曜日

國學院大学遮光土偶(目を細めているように見える土偶)を所蔵しているのは有名だが あれだけすばらしい土器をたくさん所蔵しているとは思わなかった。
入場は無料なので 是非お勧めしたい。 

東京で土偶展が開催されている。考古学の入門の仕方として 私は土器に興味を持ち その時代に興味を持ち 土偶というものにも目をむけるようになったが 様々な場所の土偶の違いがわかる土偶展から入る方法も面白いかもしれない。

アクセス : 渋谷から日赤行きのバスで途中下車 あるいは 渋谷から徒歩15分

介護の仕事

2010年1月10日日曜日

失業者に10日分の2万円を支給したら 200人の人がいなくなったという。その人たちの中にはそのお金でお酒を買ったり、煙草を買ったり、パチンコに行ったりしていたという。しかしそれが税金だからと言って責めることが出来るだろうか。失業者の人たちの中には働く気の無い人もいるだろう。しかし以前は働く気があったけれども いくら探してもみつからないということから働く気の失せた人もいるだろう。逆に働く気があり 日々のお金を工面している中で得た2万円。普段我慢してたパチンコをしようという人もいるのではないだろうか。

支給したお金の使い道は その後の本人の身にふりかかってくるわけで 使い道まで責めるのはいかがなものだろうか。支給後失踪したと責める前に働く気の無い人もいることは想定できるわけで 10日間で支払うものを1日で支払ったその怠慢を反省すべきではないだろうか。

ニュースで失業しているのだから 介護の仕事は人手不足で介護なら求人をしているのだから 介護が嫌だだのなんだの言っている場合ではない。とコメンテイタ―が話している。
果たしてそうだろうか。

介護が嫌な人、人とコミュニケーションするのが苦手な人が いろいろな歴史のある個性のある老人のお世話をすることが出来るだろうか。以前の私のように、重篤な要介護者を見ると親の介護を思い出し いろいろなことを思い出し動きが止まってしまう人もいるだろう。また、人とコミュニケーションするのが苦手な人が要介護者に手を差し伸べられるのか。その人にもよるだろうが 一つ言えるのはお互いにとって決して良い介護が出来るとは思えない。要介護者の家族からすれば そのような人に介護をして欲しくないのが正直な思いだ。

いくら人手不足だからと言え 精神的・資質的人の世話が出来る状況にある人介護をしてもらうべきだと思う。要介護者体が不自由になっていたり人の命を預かっている仕事だ。 介護というものをもっと勉強してから 意見を述べてもらいたい。

先日施設で介護福祉士が障がい者に体罰を行っていたことが発覚したが 介護者資質がいかに重要か、なぜ定着率が良くないのは体力的な問題やコミュニケーションが絡む問題・重労働で体を傷める人が多いということをより多くの人に理解してほしい。

リラクゼーション法の一つ 自立訓練法をご紹介しましょう。心理学では有名な方法で いつでも出来て安価な方法です。

疑わしく思う方がいらっしゃるかもしれませんが 継続してやってみてください。慣れると出来るようになり 効果があると思いますよ。

まず 目を閉じて 気持ちがとても落ち着いていると心の中で唱えながら 自分の好きな景色を思い浮かべます。

1 手足が重い。

2 手足が暖かい。

3 心臓が静かに打っている。

4 呼吸が楽になっている。

5 お腹が暖かい。

6 額が涼しい。

1から6を順に心の中で繰り返し唱え、自己催眠状態になっていく。

出来たら 体を動かしたり 足を屈伸したりしてから 目をあけてください。
いかがですか?慣れて出来るようになると すっきりすると思いますよ。

がんばらない介護家族  しゃべり場 その3

2009年12月30日水曜日

介護家族 要介護者の介護 と社会の荒波(再就職先が無いし、短時間だけ預けるデイサービスを利用しているだけでも隣近所には冷たい目で見られる)と闘って本当に苦しい状態にいる。介護家族を助ける具体的なサービスも必要だし 心の中を聴いてもらえる場が必要だ。行政は介護だけではなく介護家族に対してもテコイレが必要だし、それらをボランティアで責任の無い形で賄おうとするのではなく 利用する度にお金を払ってでも 頼れる場所が欲しいと願っている人は多いと思う。介護中あるいは介護卒業生の貴重な体験を活かした介護家族へのケアを行政が行うことが今とても必要とされている。ケアマネージャーは要介護者のコーディネイタ。どちらかというと施設側の仕事で介護家族の立場に立ったケアで要介護者についてまでは出来ていないのが現状。介護家族の悲鳴に耳を傾ける場。介護家族のしゃべり場が求められている。


私の経験からも 自分の今の気持ちを言葉に出し共感してもらえるだけで 介護のストレスからかなり解放される。また明日から何とか介護を続けていこうと思えるようになる。それは知り合いの 介護経験者・介護中の知り合いも同様のことを言っているから 多くの人が同じ思いをしているはず。

昨今働く女性のワークライフバランスが叫ばれているが 行政は介護家族ワークライフバランスにも目をむけてもらいたい。


また介護家族の負担軽減に目を向けることで 介護施設に預けることが少なくなり行政の負担は軽減される。そして介護家族の経験は在宅介護者へのフォローという重要な役割の仕事が創出されることになり 介護の終わった後に路頭に迷う人も少なくなると思う。

がんばらない介護家族 しゃべり場 その2

2009年12月29日火曜日

家族構成の都合でむを得ず一人で 親の介護をしなければならない人が多いと思う。大学を卒業してからずっと働き続けてキャリアを積んできたアラフォー・アラフィフつまり40歳少し前から50歳少し過ぎの年代の人は男女雇用均等法が始まり総合職の先駆者として突き進んできた女性たちの年代。一人っ子が多くや兄弟がいても2人程度。


そのような年代の人間が 介護をしながらの仕事が難しくなり 両立をしてもたもののどちらも中途半端で体力も続かず 仕事を辞めて介護に専念。しかし決断をした時点でかなり重篤化していて坂道を転げ落ちるがごとく要介護度が上がり介護しきれなり施設に入れるようになる。また在宅で専念して看ていたけれども 看切れなくなって施設にようやく入れたので資金稼ぎに働こうと思っている人も多いはずだ。(安いところは何年ごしの順番待ち。比較的入りやすいところは最低でも1か月に20万円はかかる)

介護というものは様々なものにお金がかかる。 肌着一つでも買って着せて見たら袖繰りが工夫されていても今の体の動きには脱ぎ着がしにくいとか 大きめが良いかと思いパンツを購入したら 足回りは良いけれどもウェストの部分がブカブカで落ちてしまうとか。そのようなことで買い替えが多く無駄なものをたくさん買わなければならなくなる。介護を要する人の身の回りの物は試着なしで購入しなければならないので 本当に出費が多く仕事を辞めない方が良かったと後悔する人も多いだろう。 

一度仕事を辞めてしまうと 40~50歳前後で再就職は難しい。さて仕事につこうと思うとブランクと年齢が足かせになる。これが独身の一人っ子男性が同様の状況の場合 女性とは異なり性差による介護というものへの負担も異なるであろう。そして親が逝った後にはどうやって生きていけばよいのか。妻がいれば妻の収入で何とか生活が出来るかもしれないが。

がんばらない介護家族 しゃべり場 その1

2009年12月28日月曜日

お母様がパーキンソン病で 介護にはほとほと手を焼いている人がいる。もともとお母様とは性格が合わず 何十年も話をしてこなかったという。そこへきて介護。だからといって そりが合うわけでもないし会話も成り立たない状態で介護がとても大変だという話をしてくれた。

彼女は介護しきれなくなり お母様には現在施設に入ってもらっているという。デイサービスの車が自宅の前に来るだけでも 近所の人から介護放棄 とみられる傾向があると彼女は言う。私も同じような体験をしている。結局、近所の人にはお母様は入院中ということにして施設に入ってもらっているらしい。周囲の目はおそろしい。
よく 家族には歴史があると言われているが、自分が体験するまでその意味がわからなかった。実際に自分が介護してみると 歴史という意味が嫌なほど実感し いろいろな記憶がよみがえってくる。

要介護者を病院に連れ行くことは大きなイベントで 介護家族はその1日は 順番取りや送迎車の手配・送迎で疲れ果てる。これは在宅介護でも施設に入所していてもこの大変さは変わりは無い。
病院に連れ行った翌日は 疲れ果てて動けなくなっていたことを思い出す。病院の順番取りをしてもらえる代わりの人がいれば。あるいは要介護者の場合は順番をとらなくても診てもらえるシステムがあればと思う。

今年もまた 何をすることもなく 1年が過ぎようとしている。

今年は 不況の嵐の波をまともに受けた1年だった。

その影響から 気になることがいくつかある。
なかなか就職先が決まらないこと。6枚組の履歴書用の写真を3~4回は撮影し すべて無くなったから 履歴書は20通は出したと思う。

二つ目は 家族ぐるみでつきあっている知人が 親戚の経営している会社から急に解雇され 自死したこと。それに波及して 残された彼の妻である知人が 直前までの夫との関係・会話が原因なのではないか。なぜそのような状況を受け止められなかったのかと自分を責め悩んでいること。

三つ目は やっと就職出来たインプラント会社の売り上げ不振から 契約期間内に解雇されたこと。

来年は 安定した仕事を得たい。
そして 今年の経験を活かし 自己実現にむけて努力したい。

釈迦堂遺跡博物館に行ってきました

2009年12月14日月曜日

考古学研究所でアルバイトをしたことがきっかけで 縄文土器にはとても興味がある。
今回行ったのは 中央高速の釈迦堂のサービスエリアにある釈迦堂遺跡博物館

日本で出てきた土偶の半分がこの付近から出土したらしい。
今まで主に東京都や神奈川県から出土したものを見てきたが 山梨県付近のものは今まで見たものとまた異なる紋様であった。もちろん手作りなのだから それぞれの個性があるわけで紋様が異なるのは当然だと思うが その作り方を伝承するわけであろうから 地域ごとに特徴が出てくるのだろう。

今回見たものは人間の顔の形をしたものや蛇がとぐろを巻いたような形の把手(とって)がついたもの。また口縁が立ち上がった水煙土器(すいえんどき)があった。水煙土器は今まで本でしか見たことが無かったのでとても感動的だった。

入場料はおとな200円 こども100円。釈迦堂サービスエリアから階段で2~3フロアぐらい(?)上がったところにある釈迦堂遺跡博物館
私は 勝沼で降り 一般道および側道を使って博物館の駐車場に停めて見てきた。
国宝重要文化財を所蔵している。
子ども向けにパンフレットもたくさん用意してあり とても親しみやすい構成になっている。

駅から1分の駅前ビジネスホテルに泊まった。ベッドはセミダブル。窓は広め。トイレもついていうユニットバス、大きな窓がついている、夜景を楽しむ人にはうれしい窓。シャンプーとボディシャンプーは備え付け。ドライヤーももちろん備え付けで無料テレビももちろん無料。小さめだが冷蔵庫がついている。湯沸かしポットに湯のみが一つ。緑茶のティーバックが1つついている。インターネットは使い放題。パソコンを借りる場合は1日千円。歯ブラシ&歯磨き使い捨てシェーバー、タオルが3種類ほどついていた。これで4千円代。安いと思う。

朝食はバイキングでパンかご飯。ソーセージ、オムレツ、きんぴらごぼう、サラダ、納豆、魚のあら煮、焼き魚、アサリのお味噌汁、コーヒー・牛乳・ジュースと品数は少ないがそんなものだろう。

少し戸惑ったのが夕食だ。これもバイキング。サラダ、トリの唐揚げ、ソーセージの炒め物、ソース焼きそば、キャベツの炒め物、肉じゃがのカレー味、お麩のお吸い物。お昼はへぎ蕎麦とてんぷらだったので、もう油ものは食べたくないし、このメニュー。食べたいと思わせるものが無い。

一番おいしかったのは、お茄子のお漬物ときゅうりのお漬物。東京では見たことが無いほど大きなお茄子の丸ごとの水ナスのようなお漬物は絶品だった。きゅうりのお漬物はきゅうりをただ半分の長さぐらいに切っただけのような大きさ・形のもので、私の中ではナンバー2。海の近くなのでお刺身を期待していた知人達はずっと文句を言っていた。ホテルの団体旅行なので私は期待していなかったのが幸いした。あんなに文句を言うほど期待をしていたのか。逆に驚いた。なぜかというと、さほどお金を出していないツアーだったので私は期待していなかったから。とにかくお茄子ときゅうりのお漬物には本当に助けられた。おそらく5本ぐらいずつ食べたと思う。

帰りがけに市場に寄ったら、夕食で食べた東京で見たことも無い太い茄子ときゅうりが大安売りしていた。どうやらここらへんの特産品のようだ。思いがけないところでおいしく特産品を食べられたわけだ。

柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました その7

2009年11月30日月曜日

柏崎駅前通りには特産品を売っているお土産屋さんがある。
駅から一番近いところにあるお店は明治饅頭・ちぢみ餅で有名な美埜屋さん。明治饅頭もおいしかったが揚げ饅頭(食べてみてわかったのだが、明治饅頭を油で揚げたものだった)が私の好みだ。周りがカリカリしていてドーナツのお饅頭バージョンという感じでおいしかった。この明治饅頭は小判型で白い色で見た目が薄皮んじゅうに似ていたが、中の餡が白餡で少々想像とは違っていた。通常揚げ饅頭など「どうせ余りもの」という感覚で買わないのだが、明治饅頭が売り切れていたため購入してみた。あまりにおいしいので翌日の朝、駅の隣のコンビニのおみやげコーナーで明治饅頭を買って帰ったが、やはり揚げ饅頭の方が私の好みだった。

ここではちぢみ餅という求肥、東雲という餡をパイで包んだお饅頭のようなものを買った。
いずれも東京で買うものより3割以上は安い。それでいてさすがに新潟。非常においしい。
因みに イトーヨーカドーの求人は770円だった。東京と比べていかがなものだろうか。

柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました その8

2009年11月25日水曜日

柏崎土産と言えば、明治饅頭美埜屋さんの先にある新野屋さんのおせんべい、網代焼。小さな魚の形をしている。大きさは金魚ぐらいの大きさ。駅の隣のコンビニでは210円で売っていたが、前日にイトーヨーカドーで185円で購入。少し得した気分。

残念ながら柏崎には新野屋さんの閉店時間後に到着し、開店時間前に出発したのでお店で購入することは出来なかった。少々残念だ。

ホテルの朝食前、皆が寝ている間に駅周辺を散歩し、駅の隣のコンビニで笹団子明治饅頭を購入した。なかなか有意義な時間を過ごせた。新潟駅までどのぐらいの距離があるのか路線図を見てみた。距離はわからなかったが千何百円もしていた。結構遠いようだ。映画を見に行くのも新潟だとすれば、かなりの出費になる一つのイベントになりそうだ。

柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました その6

2009年11月20日金曜日

2007年にあった新潟県中越沖地震の爪あとは見られなかったが、昔ながらの住宅は無く新しい住宅が並んでいた。車で10分以内の所にも家は建っていたが、昼間でも住民の方の姿を見ることは無かった。

柏崎刈羽原子力発電所と言えば、関東圏の人であれば聞いたことの無い人はいないと思うが街には人影もみかけず、閑散とした町だった。発電所従事者らしき人の姿を見るのみ。柏崎駅前通りやイトーヨーカドー店内でも付近の住民の方の姿を見ることは無かった。もっとも駅前の商店街も夕方6時をもって閉店という土地柄。そのようなところなのだから、唯一開いているイトーヨーカドーとはいえ、お客さんが入るはずのない時間帯に行ったからなのかもしれない。
仕事場と家の往復は車ということなのだろうか。人との触れ合いは駅前のおみやげやさんとの一時だけだったのが少し残念だった。

柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました その5

2009年11月15日日曜日

柏崎刈羽原子力発電所の敷地内は無機的で、ロケット打ち上げ基地のような感覚だ。広い敷地の中には銀色や白色の構築物である空気取り入れ用の高いタワーや発電所がポツンポツンと並んでいる。

化学工場の見学に行ったことがあるが、敷地の中はまさに工場そのもの。まさに電気の工場であることを実感する。
化学工場と異なるのは、建物の中である。化学工場はオートメーション化が進んでいて、ベルトコンベアーはもちろん 中で移動しているのもロボットだった。広い工場の中に一人か二人しか人がいなかったことを記憶している。しかし原子力発電所では点検作業中・耐震工事中ということもあるのだろうが、人の手に支えられて厳重な点検がなされているという感じがした。

柏崎刈羽原子力発電所に行ってきました その4

2009年11月10日火曜日

さほど大きくない送電用の鉄塔が並ぶ柏崎刈羽原子力発電所付近だが、さすがに発電所付近にある鉄塔の数が少々多い。しかし当たり前とは言えば当たり前なのだが、発電所の向こうは海ということもあるが向こうには鉄塔が無く、発電所からひたすら東京方面に向かって鉄塔が並んでいる。

まさに電気の源という景色を 発電所から離れてみたときに実感した。

まこもたけの料理 その1

2009年11月5日木曜日

新潟でまこもたけを購入した。イネ科の植物らしい。若々しい緑色で サトウキビのように細めの竹のような形状。

早速調理をしてみた。素材だけで十分に甘みがあっておいしい。どこかで食べたことのあるような でも初めての食感。
せっかくなので レシピをご紹介します。レシピ紹介デビューです。(とても簡単ですが)


まこもたけのしょうゆ炒め

①まこもたけを短冊切りにする。
 油でほんの少し焦げ目がつく程度炒める。

②ダシにしょうゆを入れてからめる。
 片栗粉を溶いても風味ががある。

柏崎刈羽原子力発電所の名前の由来は、柏崎市と刈羽郡にまたがっているため このような名前になっているらしい。
柏崎市には1号機から4号機まであり、刈羽郡には5号機から7号機まである。
いずれの自治体にも税金が公平に落ちるように、柏崎市にある1号機を動かした後には2号機を動かすのではなく刈羽郡にある5号機を動かすそうだ。

現在は点検中だが、新潟県にある発電所だが自らが使用するのは東京電力で発電した電気で、何らかの事情で発電出来なくなった場合には、いつもは送電している送電線をつかって、他で作った電気を送電を受けてまかなうそうだ。

発電所の近くにある送電用の鉄塔はさぞかし大きいのかと思いきや、我が家の近くにある送電線とはさほど変わらず、かえって小さいようにも感じた。