自分の財産は最後まで握っていないと お金を子どもに譲ったとたんに面倒をみてもらなくなるから譲るべきではないと言う話を新聞で読んだことがある。
もし介護に対する感謝の言葉もなく 「親だから」という理由だけで無報酬で介護に身を捧げる状況になったとしたら。。。
介護家族を自由の無い介護のストレスから少しでも解放するために 「老いては子に従え」で 少額で良いからお金で解決する方法もあるかもしれない。介護のストレスからの解放はお金よりも感謝の言葉が一番だが、お金はそれを裏打ちする場合もあるのではないだろうか。
介護が終わっておよそ2年経ち 嫌な部分は忘れかけ ちょうど良い加減なのが今なのかもしれない。
過去を振り返り辛かったことばかり思っていても前へは進まない。
先日 どこかの大学の先生が「昔に好きだった音楽や状況に身を置くと 脳だけでなく体も若返る」という話をしていた。
私の学生時代は ディスコミュージックが全盛期の時。聴くたびに学生時代を思い出してワクワクしたものだ。久々にそのディスコミュージックを聞く機会があり 時々聞いているのだが 当時のワクワクした気分は少し忘れかけていて少々がっかりしたが 懐かしさ、楽しかった時代を思い出す手掛かりにはなる。いつもは使わない脳や体の部分を使うのは 確かに良いことなのかもしれない。
子どもの頃から習いたかったダンスを 1年ほど前から習い始めている。当時あこがれたダンスと言えば映画ウェストサイドストーリーのジョージ・チャキルスの足をスッと上に高くあげて踊る切れの良いジャズダンスだ。この年になって始めるのだから とてもとても足は上がらないし体も動かないが 頑張って色々なダンスに挑戦している。ダンスというよりはストレッチに通っているという感じなのだが。。。
始めたばかりの1年ほど前は 何十回同じダンスをしていても全く覚えられなかった。ところが今は最初の4小節ぐらい(次を覚えると忘れてしまうのが難点だ)はほぼ覚えられるようになった。以前とは違う部分の脳を使っていることが実感できる。
過去を振り返ることも悪いことばかりではなく、忘れかけていたやりたかったことをこの年になってなぞるチャンスにもなるものである。こころの健康を保つためにも 過去を振り返り楽しかったこと、栄光を思い出してみるのはいかがでしょうか。
数か月前から読みたいと思っていた本を 先日近くの図書館から借りてきて 一気に読んだ。
介護者と家族の心のケア ~介護家族カウンセリングの理論と実践~ 渡辺俊之著 (金剛出版)だ。
介護の負担感、介護ストレスの部分は特に 私のこころの声を分析されているのではないかと思われるほど的確な原因分析がなされていた。
それらを一言で言うと
負担感の原因は身体的疲労。介護による私的な生活の妨害。介護とは喪失との対峙で健康で若くて強かった親が弱っていく悲しみの感情がこころに湧きあがること。
ストレスの原因は 親の機能低下や病気の進行に伴う喪失感。介護者と親との関係にもともと問題がある。介護者と周囲との関係。義務や責任で介護にあたること。義務的な関係が介護により増強される。感謝をしてくれない、あるいは介護の気持ちが届かない。ということがあると言う。おまけに、要介護状態になると人はおとなの部分が剥がされて元の人格が協調されて出現し、人格に偏りが出てくる。例えば依存的な人は極めて依存的になる。介護者にどっぷり依存して一人では何も出来ない。ということがある。
つまり、義務、責任、現実的状況のために介護からの逃避が許されず、葛藤を乗り越えて介護を続けることが強いられることに こころも体も参ってしまっていたのだと冷静に振り返ることが出来た。
家族だからこそ 細かなところまで気がつくことができるが その分ストレスも多く過去との比較や現実に向き合いながらの介護は葛藤はとても大きなものだ。これが夫の親の介護だったら また別の感情が出現しているのかもしれないが、実の親だったら自宅に抱え込んでの介護はしていなかったかもしれない。
先日、友人に壮大な景色の公園に連れて行ってもらった。そこで公園内の茶屋に立ち寄った。茶屋からはすばらしい日本庭園と背景の山々がのぞめ、素晴らしい時間を過ごした。
茶屋からは ちょうどデイサービスの利用者のような方々が出てこられ 一団と入れ違いになった。その中に具合の悪い時の父の面影によく似た男性がいた。かなり具合の悪い時の様子にあまりにも似ていたので、目をそらしてみたり父の面影を重ねてみたり複雑な心境だった。父によく似ていたが、この男性の方がずっとお元気で、父ぐらい具合の悪い人の介護は自宅ではあまりしないものなのかと不思議に、また私はすごい人を抱えて介護していたのだと確認した次第だった。
昨日、電車に乗っていて、父のように立ち上がるのに苦労している男性を見かけた。椅子から転げ落ちそうな格好をして頑張っていたので、思わず手助けに行こうかと思ったほどだった。しかし手を貸すことが良いことなのかどうか迷い、一人で電車に乗っているのだからしばらく見守ってみようと思い、席を立ち電車を降りるところまでを見守った。体を動かすのは自由で内容だが、上手に椅子から立ち上がり電車を降り、歩いて行かれた。父ほど具合が悪い人は家では介護をしないのだなと再確認した。
介護をどこでするか。これはその後の自分の生活、精神状態にとってもとても重要なポイントだ。