親が亡くなってから2年3ヶ月。やっと心も落ち着き、気分の良い時には親の身の回りのものを少しずつ片付けられるようになった。
そんな中で先日は年老いてはるか昔に起こったことなのか、はるか昔のことを思い出しつつ見た夢のことなのか。わが家が引き起こしたこと(交流がなかった時期でその頃のことは何も知るはずもないし、 そのようなことはわが家に起きていなかったこと)を面々と書き記した親戚からの嫌な手紙を発見し、一つにまとめて焼却ゴミとした。(近いうちに処分しておかなければいけないが)
今日は親が記していたノートを発見した。いつも私の縫った袋に入れて枕元に置いていて、入院した時にも一言目にはそれを持ってきてくれと言って肌身離さず持っていたノートだ。あんなに具合が悪いのに最期に入院した時にも持って行っていったほど肌身離さず持っていた物だから何が書いてあるのか全く知らなかったが、私が一生懸命に病院とわが家を往復して世話をしている時も、また必死で介護をしている時も肌身離さず枕もとあるいは枕の下に置いていたそのノートにまさか私の悪口があんなに書いてあるとは。驚いた。親が元気であった時にあった出来事の見解の相違について、生々しい言葉で、親の人間性を疑うようなことが書いてあった。
私は親が亡くなってからおよそ2年間何を悩んでいたのだろう。介護をする前から 親も私を恨んでいた!なんとも言えない気持ちだ。外見上は仲の良さそうな親子だったと思うが。。。
ノートの中にこんなことが書かれていた。50年前に自分が新婚時代に購入した大事にしていた食器とスプーンを私がどこかに隠したとも記している。これは以前に言われたことがあるが それはそのあとすぐに一生懸命に探していたところバッグから出てきた。ウェストバッグがどうも重すぎるのでおかしいと思い探したら色々な小さなポケットからから数本出来てた。そのほかにも大事にしている鞄から数本数が出てきた。それでも足りないものがある。50年前に購入したもので大きな食器をのぞいては全て割れてしまったのでその旨言ったのだが「そうかな?」の一言で終わってしまったので一件落着したものだと思っていた。書いていたことを話してそのあとに消していないのか、そのあとにそういう経緯があったことを忘れて書かれたものなのかはわからないが、いずれにしろ納得していなかったのであろう。
親の具合がガクッと悪くなった一つの理由として 今なら体が弱っているので怒鳴られずに話を聞き入れてもらえると思い 母を亡くしたあと25年間の父に対する私の本当の思い、結婚を反対された時の気持ちなどをストレートにぶつけた。中でも母が亡くなってから父が「お母さんが死なずに私が死ねば良かったね」と言った時に「『お母さんとは今までよく話したけれども、お父さんが死んでいたら話すことなく死んでしまったから、話す時間があって良かった』と言ったけれども。」と言われたので「『本当はお父さんが死ねば良かったのに』と言いたかったけれども面と向かってそうは言えないからそう言ったんだ」と言ったら「そうだったのか」とガックリと肩を落としていた。それが大きな原因で具合が悪くなったのかと思い 反省するやら自分を責めるやら、言ってスッキリしたという気持ちやら複雑な心境だった。
でも親は死ぬまで親は私に対する恨み?を胸の中にしまって逝った。でもノートに残して逝った。これはやはりかなり私に恨みをもっていたのだろう。 1枚も2枚も上だったことがわかった。なにより 色々な思いがあり 一言では表現しきれないが 複雑な心境だ。
喋る相手がいなかったから ただ単にノートに記していたのだと思いたい。おまけに 私自身 人生の半分以上は過ぎた年だから 家族をがっかりさせるようなものは片付けようと思う。
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