介護ヘルパーの質を決めるものとは

2008年8月25日月曜日

今 いろいろなジャンルで何々アドバイザーというものが登場しているが 介護の世界ではベースに資格や研修を受講することが必要なものがほとんどだと思う。これも看護関連ということで医療がベースとなっている世界だからなのか。自宅で介護をしていた経験。それもどのようなレベルの人を介護していたのかも一つの履歴としてヘルパーの格を決めるのに活用するのも良い方法ではないだろうか。私のように難病で身体障害者1級の歩けない人を介護していたという履歴は 何年間ヘルパーをしていても家事援助だけで入っている人とは経験の質も量も違うと思う。イヤー本当に大変だった。

ところで一昨日 父の夢をみた。夢ではどこかの病院か施設に入院をしているようで 体の具合は悪いが 精神的な面は正常に近く私とほぼまともに話が出来た。私はこの夢の中では父に詫びるつもりもあり、優しく接していた。そんな夢をみたら 父の存在を抹殺するようで怖かった父の荷物の片付けであるが、少し片付けようかという気持ちになれた。時間がこころの薬だと実感した。

介護の世界はいろいろと難しい

2008年8月22日金曜日

介護の世界は何かといろいろと難しいですね。せめて我々利用者にはわかりやすいことばにしてもらいたいものです。 また 介護の資格をとる時にも言葉が難しく 移乗とか嚥下とか咀嚼とか 難しい言葉・漢字の羅列で一度聴いただけでスッと入ってくる言葉ではありません。

自論では 看護の世界と通ずるものがあるとしている介護関連の方の気負いというか自負というか、そういうもののあらわれなのではないかと思うのです。 人に優しくする仕事なら わかりやすくするのも優しさだと思うのです。どうでしょう。

今の時代は いろいろな経験から自分で肩書きをつけられてそこから仕事が生まれる場合も多いと思うのですが、この世界ではそれはあり得ない。まず資格をとり、そこでの経験年数からまた次のステップの資格・仕事につながります。それでいて3kなのだから、ますます底辺が広がらないのは当然だと思います。生活習慣・文化の違う外国人の介護士さんに昭和時代のことを学んでもらって どれだけお年寄りの方と話が通じるのか。疑問ですね。やむを得ないということもあるのでしょうが。

オトコの介護

2008年8月13日水曜日

日経新聞(2008.08.03)のsunday nikkeiくらし安心「いざ!オトコの介護」からの抜粋。
「超高齢社会を迎え、男性も親や妻の介護を担う可能性が高まっている。今や介護をする人のうち男性の割合は約3割という。仕事と「の両立からなれない家事の苦労や地域との付き合い方まで「男性ならでは」の難しさもある」とある。

「男性はまず自立した生活を送らないと、いざという時に介護どころではない」
以前自治体で行っている料理教室に行ったことがある。包丁も握ったことのない男性なのだろう。何を勘違いしたのか自分が頑張らなくてはと思ったようで、女性の中に混じってハリキッテいる。ところが何をさせても常識外の行動で、からまわりばかりで、どうも皆の中に溶け込めない。例えば、包丁を別室にある包丁を取りに行く時には「人に刺さると危ないから」と言って、料理実習中の受講者の込み合う中を頭の上に振りかざして「危ないですよー、通してくださーい」と大声を上げながら突進してくる。布巾か何かに包んで自分の懐のあたりに持っている方が よほど安全だと思うのだが。すべてがカラマワリ。ろくに包丁も使えなければお皿も洗えない。とてもキケンで落ち着かない、受講者が受講者をお世話をしなければならない料理教室を受けた覚えがある。料理教室に行く前に 包丁は頭の上に振りかざしたら危ないということぐらい学んでから料理教室に来るべきだろう。また、普段調理をしている女性の中に何も出来ない自分が入っても、その場で学ぶ以前のことがたくさんあるわけで、段階を踏んで来るべきであったであろう。
この事例に限らずこのようなことはよくあるわけで、自分が自立していないことを自覚していないことオトコの人いかに多いことか。

そして「オトコの介護の傾向」では①仕事と介護の両立が難しい。②他人に頼まず、すべて自分の手でしたがる。③仕事のペースできっちり計画を立てたがる。④他人には弱音を吐けない。である。
①の仕事と介護の両立は当然難しい。専業主婦で家にいて介護をするのも大変なのだから。④は男性に限らず女性でも弱音を吐くには相手を選ぶので性差はないと思う。
問題は2つ。まず②の他人に頼まず、すべてを自分でしたがること。男という生き物はイイカッコをしたいところがある。これは女でもそうだとは思うが、自分でさえ十分に自立していないのに、他人の世話をしようというのだから達が悪い。
女はセンタクで成長している。という話を聞いたことがある。洗濯することで仕事の仕方、段取りを身につけることもあるかと思うが、今私が言いたいのは選択することで、選ぶことで決断するということである。例えば、社会人になり仕事に就いて結婚する時には、続けるか辞めるか。またどちらの姓をとるかを選択して決断する。子どもを宿した時に、選択して決断して産む(産まない)。子どもが生まれたら、子どもが泣いたら今何をすべきか、オムツなのかミルクなのか、具合が悪いのか。選択肢を選択して決断してオムツを交換する。熱を出したら、どのぐらいの熱になったらどこの医者に連れて行きどうするかも選択して決断するのである。女はこのようにして、日々選択と決断を自己責任のもとで行ってトレーニングをしている。

③の仕事のペースできっちり計画をたてたがる。これも子育てをすると自然に育まれることであるが、人間相手のことで自分の立てたスケジュールで相手を動かそう、何かをさせようということはほとんど不可能。女はそこで待つということを学ぶ。(だから、もし私が自宅療養でリハビリが必要になっても、夫には介護をしてもらいたくないと今から宣言している次第である)

結局、女が子育てをするように 日々男を自立するよう若いうちから育てていくことが不可欠であろう。まずは、週末に買い物につきあってもらい、ものの値段を知ってもらうことから始めるのはどうだろうか。