自分のケア

2008年6月28日土曜日

介護中は身も心も洋服もボロボロで、自分のために費やす時間が皆無に等しかった。
介護を終えて鏡をのぞいたら、肌には艶がなく眉間に深いシワが出来て、口角は「へ」の字に下がっていた。試しに笑ってみたら、目は笑っているのに口角が下がったままで意地悪な人相になっている。私の介護も意地悪に満ちた介護だったのかしらと思い返す。

今まさにご両親を介護している友人に道でバッタリ会った。以前お会いした時にはイキイキとした笑顔とピチピチのお肌の持ち主でうらやましい限りだったのに、申し訳ないけれどもその面影は無い。

子どもの卒業式にコサージュどころかアクセサリもつけずに黒っぽい服を着て行って「まるでお葬式じゃないの」と笑いながら言われた。また謝恩会に行ったときには、私だけジーンズにセーターという姿で参加して、みじめでいてもたってもいられない気分になったことを思い出す。今の自分はみなと生活の次元が違うのだと実感した。そんなことを思い出しながら帰宅し鏡をのぞいたら、以前のような眉間のシワは薄くなり、口角も少しだけ上がった笑顔の自分に出会えた。

今その人に対して何かしてあげることは、その人の話を何でも共感して聴いてあげる機会を作ること。あとは時間が解決するしかないことなのかもしれないと思った。

腕の力を使わない介助は出来ないものか

2008年6月25日水曜日

以前も少し触れたが、在宅介護のトイレ介助は重労働である。時間の感覚が鈍った家族の介護の場合は尚更である。お腹がグルグルしているのか「大きい方が出そう」と言うので、介助でポータブルトイレに移動しズボンを下ろしてあげてやっと座らせたかと思ったら「ガスだった。もう出ない」とか「もう良い。ベッドに戻る」と言う。そうなのかと思いズボンを上げて介助でベッドに横にならせてお布団をかけて1~2分すると「やはり大きい方が出そう」という。それを3回ぐらい繰り返していると40分以上はつきっきりずっと介助をしているわけで、結構な重労働をすることになる。



冬はパンツの上にズボン下厚手のズボンを履いているが、これらの上げ下ろしが結構大変だ。すべてゴムが入っているので結構力がいる。4回目ぐらいになると、しばらくトイレに座っていてもらうことになる。「もうトイレはしない。終わり」と言ってもしばらくの間は。こういう介護をしたことの無い人が聞いたら老人虐待だと言われるかもしれない。ゴムのはいっているものは来ていても楽だが、介助する方にとってはとてもやっかいなものだ。おかげで、介護の終わった今でもひどい腱鞘炎に悩まされている。雑巾絞り程度の作業でさえも10月ぐらい3月末頃までは痛みが走りほとんど出来ない。寒い時期半年はなるべく腕を使わないようにして、気候の良い半年は腱鞘炎が出ないように腕を使うという始末。

腕を使わないということは、ヒトが生活している中ではあり得ないことですが・・・。